風見鶏はどこを向く?

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世界地図はまだ完成さえしていない ~fhána「World Atlas」

 fhánaの「World Atlas」を聴いて思ったことをつらつらと。

 このアルバムがある一つの道筋を見つけたかのように思われ、またタイトルを付けるところにも至ったのはちょうどトラック2の「青空のラプソディ」の頃である。この曲はキャリア最大のヒット曲であると断言可能な代物で、またボーカルのtowanaの喉の手術から復帰して初めての曲でもある。そんな「青空のラプソディ」は、今までのシングルとは違う外向きな曲であり、佐藤純一というひとりのクリエイターのルーツが詰まっているポップな曲である。それも、明るすぎるんじゃないかってくらいはじけた曲。

 アルバム全体を見渡したとき、「青空の―」は、リードトラック「World Atlas」とトラック3「君の住む街」の間にある。さらに続く「Do you realize?」を含めたこの4曲は、強い祝祭感と心の衝動に支えられている。このあたりはかなりライブで披露することを意識した選曲・曲順となっていると思う(曲順としては「君の住む街」が少々明るすぎる気もするが)。

 「Do you realize?」は、その流れをよりエモーショナルに加速させ、アルバムバージョンとしてイントロが拡張された「わたしのための物語 ~My Uncompleted Story~」へと流れ込む。歌詞は純粋な熱情と切実さが表現されていて、先の流れとはまた違った心の動きが表現されている。とはいえ、「祝祭の街」的イメージの括りで見れば、トラック1~5までがひとつの流れになっていると思う。

 祝祭の街から「回想としての街」へのトランジションに「reaching for the cities」を使ったのは、次トラック「ユーレカ」とのつながりを考えたときにやや光りすぎるというか、目立ちすぎた感じがする。音楽としては「reaching ―」の『旅に出ようとする青年の』軽さと、「ユーレカ」でのtowanaの『上京した人々が知らぬ街で奮闘しながらなにかつかもうとするような』切実なボーカルがまったくの異種であるから、ここは街という共通点だけでは読み解けないところがあるんだろうか。

 「ユーレカ」~「アネモネの花」~「star chart」~「Rebuilt World」~「ムーンリバー」の流れは完璧で、寂しくも美しいところがある。切なさがメロディの端々からあふれ出す。物語をつなげていくからこそ、その繋ぐ部分に物語が生まれるというところは、この流れの中にアニメタイアップは1曲だけであることからも、またfhánaのいままでの活動を振り返っても自明であると。

 ところで、「ムーンリバー」の仄暗さがこのアルバムの最大の静寂であり、「ムーン」なのだから「夜」なのだろうし、と考えたところで思いついた。ふと思えばこのアルバムは街の日常を朝から夜まで見つめているとも思う。「World Atlas」が朝9時くらい、「ユーレカ」までが昼から夕方への移り変わり、「アネモネの花」は夕方で「star chart」~「ムーンリバー」までは間違いなく街に訪れる夜である。

 とすれば、「Hello! My World!!」は一体どのポジションなのか。この構成すべてが僕の仮定の下に立っていて、それ以上でもそれ以下でもないことはわかっているが。わかっているが、この曲の明るさは実際始めにあってもおかしくない。それをわざわざここに持ってくるというのは、「Rebuilt World」~「ムーンリバー」における『復活』を象徴する曲だからだと思う。「Hello! ―」も『さぁ光ある明日へ』と歌う。次の朝への祈りと表現するのはなんとも詩人的すぎるか。

 トラック13「Calling」。この旅においての深い夜である。休息である。旅の終わりである。長いアウトロが旅の記憶をフラッシュバックさせる。そのあとの静寂が眠りを想起させ、ラストトラック「it's a popular song」が流れ出す。

「そう 行くんだ 次の目的地へ 戻れぬ港に 手を振って」

 リスナーだけでなく、この世に生きとし生けるものが共通して持つ感情のかけら――いつか失われ、そしてまた作られる――を歌に乗せて訴えるのがこの曲の役割である。

 ここまで書いておいて、「褒めておいて落とす」のもアレだけれど、このアルバムは(というか、いつもだけど)コンセプチュアルに仕上げられすぎた。新曲が少なく、大幅にカップリング曲が収録されていて、買う側としては旨みがない。マーケティングとしてなら首をひねる品物なのは言うまでもない。だがそれ以上に大事なことがある。

 fhánaは外に出ることを望んだ。そのためには、今までの曲を新しい曲とうまく融合させていき、より新しくなることが必要だ。それが今回どこまで出来たのだろうか。構成自体はとても美しいけれど、曲の一つ一つを見ていったときに、アニソンで新しい主流になりつつあるサビの二段重ねや「fhána方式」(『2サビからDメロへ急に行って、そこに最高沸点を持ってくる手法』と田淵智也UNISON SQUARE GARDEN)が語ったもの)*1にかなり縛られていると思う。逆から見れば、 yuxuki さんの曲からエネルギーが見えるのは自分のメソッドに固執せず自然体で作ることが出来るようになったから・・・・・・なんて思ってみる。

 このアルバムが「いい世界地図」なのではなく、これから旅をしていくことで「世界地図」は完成していくと思った方がいいのかもしれない。それはライブかもしれないしシングルなのかもしれないし次のアルバムの可能性もある。