風見鶏はどこを向く?

Twitterより深い思慮と浅い現実味を目指します fhána/政治/放送

インターネットとラジオから見る広告市場の変動

 ※この記事は、電通が発表したニュースリリース「2018年 日本の広告費」から画像・データを引用しています(http://www.dentsu.co.jp/news/release/2019/0228-009767.html)。

広告費の変動を見る

 皆さんはテレビCMを見ている時間とインターネット広告を見ている時間のどちらのほうが長いと思われるだろうか。あるいは、それを意識してみている時間はどちらのほうが長いだろうか? それを考える上で重要なデータがある。
 広告費の変動である。
 今年は、いままで多数派だった地上波テレビによる広告がインターネット広告に逆転されるという観測が多くある。アメリカでは既に逆転済み。

www.nikkei.com

forbesjapan.com

 私はそういったメディアを取り巻く現状について学んでいる最中の人間で、こういうことも授業で学んでいる。その中でも興味深いのが、次の図表である。

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2018年のメディア種別広告費

 すでに雑誌メディアは減少に転じている。テレビの広告費も何もしなければ上がることはない。ラジオに関しては、減少したが下げ止まったかのように見える。
 インターネットを利用したラジオサービス「radiko」の「月間ユニークユーザー数とプレミアム会員数が堅調に増加」したことによる規模拡大による影響ということで授業ではケリを付けていたが、ちょっとこの展望には違和感がある。

 radikoにより、地方局の隠れた名番組の発掘や、アーティストによるラジオ番組の力が強まった点は評価できる。だが一方で、ラジオ局そのものの地盤はやはり苦しいと言わざるを得ない。どこの局を聴いていても、引っ越し・車買取・法律事務所・薬・ライブ宣伝・番宣、というラインナップがスポットCMの定番だからだ。別の言い方をすると、平常時にスポンサーに付いてくれる企業がこれだけしかいないのだ。
 これは果たしてradikoにより市場規模が広がった、もしくは狭まるのが止まったと言えるのか。

radikoだけに頼っていてはいけない

 この問題を紐解くときにヒントになりそうなことが2つある。上の図表にある「インターネット広告費」の中の「ラジオデジタル」という項目が1つ目の鍵だ。これは、上のラジオ広告費には含まれていない、radikoなどのデジタルサービスにおける広告費を指す(恐らくだが、A&G!とかも含まれている)。
 それによると「ラジオデジタル」だけでは8億円というデータになる。もちろんradikoによってラジオ本体の広告市場が広がっているということもありえるので一概には言えないが、この数字はラジオ市場本体の市場規模のわずか0.6%にしかならない。これだと、なかなか苦しいものがある。

 もう一つ、今後のラジオを考える上で重要なのはコミュニティ放送の存在である。コミュニティの中にちゃんと根ざしている放送局は、内容も充実しているし、それに伴って地盤のスポンサーが多く付いてきてくれる。「前年に続いて堅調で、ラジオ広告費全体の押し上げに寄与した」という評価にもある通り、実はラジオ業界のエコシステムにとってはまずコミュニティ放送があって広域放送局があるぐらいの発想にしないと、広告を打つメリットはどんどんインターネットに奪われていくのではないか。地域に合わせた広告を打てるのは地域の放送局だけなのだから

 インターネット広告自体、個人情報を利用して成り立っている現状から、EUGDPRという強力な個人情報利用規制を掛けるなど徐々にルール化されているので、このままインターネットにおんぶにだっこで何とかなるほど甘くはなさそうだ。

有料コンテンツ業態を「味方」につける

 そういう前提の上で考えると、インターネットとの拡張では、出来ればCMで流れてきた商品をその場で見られるようにするとか、サービスやイベントのまとめを作るとか。技術的な問題も絡むけど、この辺りはテレビも出来る。
 ただ、今度は視聴者の面に立ってみた時、この連携はたぶん望まれない。

 映像コンテンツを例に取ると、もはや広告体系は別のところ(バナー広告など)に任せて、自分たちは有料課金でのコンテンツで利益を得るシステムになっている。有料課金の方が広告費という部分を考えなくて済み、潤沢な資金でコンテンツを生産できるということもあって、コンテンツの充実度などからNetFlixAmazonプライムが台頭している(バラエティ番組はまだわからないが)。
 もしかすると、ラジオ業界で先見の明があった人たちはその辺りを俊敏に察知していたのではないだろうか。つまり、音声メディアの有料コンテンツを売るようなライバルが出る前に、自分たちがインターネットでの配信を開始することが一番の得策だと考えついたと考えられなくもないのでは。それは実際に成功して、ライバルも現れずに一応は市場環境を保てているという点からも証明できる。

 これはつまり、有料コンテンツ業態を味方につけられたラジオは、なんとかまだ踏みとどまっているが、いつまでも足踏みしていたテレビはいつの間にか引き離されていてもおかしくはないという時代になったということだと思う。もっともこれは地上波のみの話で、BS/CSなどの衛星放送では結果が異なる(それでも減少しているのは……やっぱりインターネットとの連携がうまく取れてない)。

 ネット広告とマスメディア広告の市場規模逆転について補足すると、ネットの方が当然接触人数(回数)は多くなるし、食いついてきたところから釣り上げるための材料も豊富。間接的にしか波及できないマスメディアより広告主が食いつくのは当然と言える。
 ただ、広告に用いる個人情報に規制がかかることでレコメンド型広告の維持についてはグレーになりつつあるようだし、さらにはたかが一枚の写真程度のネット広告で興味を持ってもらうのって実は難しいのではないか。消費への動機づけはマスメディアが担っているというケースも想定されるので、この辺りはすぐに結論が出せない問題だと思う。

センバツ四強出揃う

 4月になりました。当ブログはブログデザインを一新しました(スマホは見ていないので対応してるかどうか分かりません)。これからもご愛読よろしくお願いします。
 今回は、春の選抜高校野球についての記事です。目次はこちら。

  • 試合の振り返り
  • 優勝した場合の想定コメント
    • 習志野が優勝した場合
    • 明豊が優勝した場合
    • 東邦が優勝した場合
    • 明石商が優勝した場合

 

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近況報告祭り2019春

 私はお喋りなのでドチャクソ自分のツイートを補足説明していくよ。完全に自己陶酔してるね。ダメなパターンだ。

 まずはこれ。

 この話に関しては、この記事を読んでもらわないとちょっと理解できないと思う。

sportiva.shueisha.co.jp

 高校野球史上最も悲劇的で最も有名な結末の一つ、サヨナラボークについて、当事者でありプロ野球選手として現役マスクの西武・上本選手が語っている記事。なるほどと頷かされる点が多いが、この記事を読むとわかることがある。

 98年夏の時点でサイン盗みというのはあまり規制されていなかった面がある。そうした戦いの中でサイン盗みを防ごうとすると、どうしても複雑なサインに変更しなくてはいけなくなるし、そうなるとどうしても投手の負担が大きくなる……。

 目先の勝ちのためにサイン盗みをすることも問題だが、それ以上に、サイン盗みがバレたときに報復のサイン盗みを決められて味方投手に重荷を負わせてしまわないか。センバツという投手の舞台だからこそ起こったことだが、投手に圧を掛けるにも限度があるのではないかと思った次第。

 そしてそれを律するルールがないのも問題というか。どうしてそんなに良心に頼ろうとするのか。少年野球からこういうの教えられて高校野球に来てたりするんだぞ。そんなん良心で抑えられるわけないだろバカ。

 というか、少年野球から高校野球という流れにおいて、まったく「野球」そのものから逸脱するスポーツになっていやしないか。高校野球強豪校の「スカウト」もわけわからんし。ああいう流れが続いたら、アマチュアスポーツ全体がダメになる……かもしれない。

 熱くなりすぎた。次の話。

 これは確かその高校野球の中継を見てたときに日向灘で震度4を観測する地震があったときにつぶやいたアレ。同じ日の午前中にも同じ震源域で地震があって「どうしたどうした」って雰囲気があったけど。

 大体、そうやって騒いでる暇があったら杞憂でもいいから準備しろよ。

 屋外にいて準備できなきゃ仕方ないけど、前触れかもしれないことを見過ごして何も準備せずに地震が来るのを恐れるのはバカがやること。だいたい、前触れのない地震だってあるんだぞ。
 だからって不安に思うことはない。ちゃんと対策すれば大丈夫。

 次の話。

 まあ、あのレーベルはもう来歴からしてアニメに特化してるし、あんまり期待しない方がいいのかもしれないけど。ユニゾンとかLiSAは事務所が強いし、一般受けするタイアップも取れるから、そのへんは大変かもしれない。ということを書きたかったけどさすがにエゴサされて大変なことになりそうなので書かなかった。事務所の話を書くとしんどいから仕方ないね。

 なんでもピンクにすりゃあいいってもんじゃない。あれの始まりってたぶん「news every.」なんだろうけどねえ。ピンクは Kiss FM KOBEで十分なんですよ(忖度)

 Aviutlは映像編集のフリーソフトのことです。開発元がどっかいっちゃって更新がなされておらず、スペック的にも次のOSに准ずるシステムが出たらレガシー化しかねない。かといって他のソフトはAviutlに追いつけてない。なにせあのソフト、AdobeのPremiereとAfterEffectsの機能を併せ持った化物だし……。私にはどうすればいいのか全くわかりません。

 今の地方局ってお金がとにかくない中でFM補完中継局(ワイドFM)の整備にもお金を使わなきゃいけなくて、さらに既存中継局の保守管理もしなくてはいけないという中で、必ずしもAM波での発信が公共性を有していないときについてはFM単独の放送を認めてもいいのではないかという僕のスタンスだけど、そもそもFMにしてやっていけるエリアが少ない。結構AM局もエリア広かったりするし。

 Radikoでなんとかできるじゃん、という意見もあるけど、Radikoは(とくにラジオが威力を発揮する、災害時に聴くというシチュエーションでは)いくらか不向きどころか不的確な点がある。

 Radikoはインターネット経由なのでスマホからアプリを開いて局を選ぶ必要があって、すぐ情報が必要なときに周波数を選ぶだけでいいアナログラジオには勝てないし、だいたいインターネット経由なのでサーバーがパンクする可能性がある(そういえば伊集院光東日本大震災のときに、その件を理由として直接受信を推奨していたなあ)。あと、Radikoスマホ経由なのでスマホのバッテリーに依存することになる。何日も電気が得られない状況では厳しいと言わざるを得ないかなあと。

 大体の番組は16時台に拡大した後、落ち着かなくなって15時台に拡大したがる。逆に元から15時台にある番組は16時台に拡大したがらない。なんだよこの現象。
 元はといえばやっぱり「news every.」が16時台に拡大したことじゃないか。なんなんだ日テレ。ミヤネ屋が何らかのアクシデントでなくなったら15時台まで行くんじゃないか。恐ろしすぎる。

  きょうはこの話がしたかった。fhánaについていろいろ感じるところを書いてきたりして、やっぱりfhánaは「ストーリーテラー」だなと思ったことから膨らんできちゃった話だからもう少しちゃんと書くつもりだけど、大まかな補足をここでしておきます。

 平成も終わりという頃だけど、まさかその結末がインターネットの時代、SNSで言葉が氾濫する世相だとは誰も予想していなかったんじゃないか。というか、誰も言葉の海が出来るなんて思っていなかった節がある。
 TwitterやLINEが出来る前のコミュニケーションメディアは、メールか掲示板であった。そうでなければ、オーラル・コミュニケーション(つまりリアルで会って話す言葉)であった。すべて誰かと対話することが前提にあったし、そこで交わされる言葉はすべて他者に向いていた。
 一方で、Twitterが登場する前の日記的なメディアの代表格はブログだった。ブログは、他者との関わり合いを前提としていない。このブログだって、誰かに読んでもらいたいと思いながら書く必要はまったくないわけだ。すべての言葉が外に向いていたとは言えないのが、ブログというメディアだった。
 それが、Twitterの登場で一変した。
 Twitterは「独り言」のメディアだが、シンパシーを求めることもできるし、誰かとのコミュニケーションにも使用できる。もちろん鍵をかけて自ら閉じこもることもできるが、そんなことをする人は少数派だろう。
 今まで誰かと交流するために使っていたメールや掲示板ほど固定的・閉鎖的なコミュニケーションではなく、また何かを語るために用いられていたブログのような一方向の語りはむしろ忌避されるようになった。
 その代わりに、何かを軽やかに「語ること」がもてはやされたのではないか。実況中継のように細かい描写と即時的でありながら詳しい解説を用いることができるリアルタイム性、さらに描写過多になりすぎないような文字数制限も功を奏した。
 他方、語りが氾濫したことで、誰もが語りたくなった。なんでもないことでも「語りたい」と思うようになった、「話したくなった」ではなく。
 そして、特異点のような出来事では、語りたがりが放った言葉の塊が爆弾になる。
 僕のツイートで恐縮だが、ちょっとこんなことを考えていた。

 語りの氾濫は、ときに人を狂わせる。本来、語ることは対象者がいて成り立つはずなのに、その語りが過激化し不特定多数へとシンパシーを求めたがるとき、語りはすべてを打ち砕く。
 そんなとき、一つの希望の光があるとすれば、それはリアルの世界のつながりに近い「しゃべり」だろうと思っている。無関係の他者が攻撃し合うことではなく、無関係から少しづつ気遣いあって生まれた関係で交わされる、何気ない語り。
 シンパシーを求めたがることは、つまりどこか無意識のうちに自分が他者に寄り添われたいと思っていることだから、何気ない語りによって誰かの言葉に寄り添われることは不可能ではない。

 ここまでの話はfhánaを絡めてない普遍的な話だと思うんだけど。付いてこれてるのか心配だけど、ここからfhánaの話を絡めますよ。

 fhánaの曲の歌詞を解釈すると、結構主人公視点からの「語り」が多いんだけど、そのおかげでこちらから見ると「物語」に見えてくる形で書かれてるものが多い。だけど、時にこちらに寄り添ってくる。この不思議な感覚は聴いてるとわかるし、聴かないとわからないけど。
 さっきまでの話は「語り合うことで寄り添い合える」という話だったけど、fhánaのような物語の名手は「物語で寄り添ってくれる」のが魅力だなと思うし、雄弁な語りたがりなんかよりも5000兆倍いいなって思うわけだ。その歌は確かに聴いてる人の根本的な問題を解決しないかもしれないけど、その問題を解決する前にくたばるほどしんどい思いをしてる人はそうやって物語を歌われたりすることで心の重荷がすっと消えていくんじゃないかなって、そう自分が痛感したから思うところはある。物語と自分の対話。誰かの語りと自分を対話させること。
 で、fhánaの話に戻るけど、彼らは自分のことを歌ってる曲が少なくて(ないわけではないけどタイアップが多いから割合「語る曲」が多くなる)、どちらかというと本当に誰かの物語を語る純粋なストーリーテラーなんだなって気がする。それがまたいい。誰かに寄り添うときには、自分の立場を一旦消さないと寄り添えないから。

 この話は終わり。やっぱちゃんとまとまらなかった。

 これはいけない。ちゃんと報告してくれないとせっかく見てくれてる人に不義理じゃないかって思う。番組内で報告して終わりってケースも多かったし。

 みんなLINEスタンプ使うので返信に困るし、なんだかんだ言って個人的な連絡はLINEのほうが面白いってのはあるけど、その分距離が近いからコミュニケーションの苦手なワイは自滅。おほしんたろうさんのスタンプでも買うかな……

 地鶏お前どっちやねん、お前のせいで一回注文キャンセルして返金待ちやないか。どうしてくれんねん半月前の俺。

 最後に衝撃画像(煽り)を見せてお別れ。

 

旅をする前に考えたこと

 僕は、長期の休み中に少なくとも一度は旅に行く人間である。旅と言っても日帰りがほとんどの「小旅行」。大概の場合、僕の両手はカメラを持っていて、食べ歩くか風景を撮るかの二択になっている。

 今年は尾道を旅行先に選んだ。文章が恥ずかしすぎるので記事は持ち出さないが、実は何度か尾道に訪れていて、このブログでも一度だけ尾道旅行について写真を使いながら書いた覚えがある。大まかな流れはこうだった――尾道の寺に行き、その足でサイクリングをし、何も考えていなくて体力不足から熱中症になり、尾道ラーメンを食べそびれた……みたいな。

 ただ、今回の旅は、そこまで観光を欲張るわけでもない。行きたい場所に淡々と行き、そこで映像を撮り、たまに街の現状をシビアな眼で見ていくというのが目標。尾道に限らず、どの街でもこれが出来たらいいのかもしれないが、いかんせんこれまでの旅は観光にバロメータ全振りだったので、どうしても撮影が片手間になってしまうし、現地の雰囲気を「観光客」としてしか捉える事ができなかった。もちろん「観光客」という立場も思想も概念もこうした考え方ひとつでは変わらないけど、せめてその「観光客」というフィルターから少しでも離れた目線で街を見たい。

 今回の旅のもう一つの目的は、とあるカメラを借りたので、試験的に使いたいというものである。

www.rentio.jp

 上記の「DJI Osmo Pocket」という小型の映像カメラは、プロのカメラに搭載されているようなジンバルというものを搭載しており、小さいのにブレに強い。更に、小さいのに4K解像度*1で撮影できるのも魅力。機能がいっぱいなのに、小さくてかわいい。

 ただ、こいつはかわいくないところが2つほど挙げられよう。値段の高さ在庫の少なさだ。

 この Osmo Pocket、我が家の犬に噛ませて遊ぶ骨のやつ(正式名称がわからない感じの)と重さも大きさも互角なくらいなのに、値段はカカクコムの最安値*244,890円。そっちはかわいくも軽くも小さくもないのかよ! まあ、でもこれだけハイスペックだと仕方のないところもあるのだろう。IT製品は総じて小さくするのに技術がいるもんな。

 もう一つの悩みの種は、どこに行っても在庫がないし実機もないから触れなかったという点。私の住む兵庫県内でこの機種を見たことは一度たりともない……。あそこにはあるだろうと思ってハーバーランドのumieにあるソフマップにも行ったし、三宮の星電社ことヤマダLABI三宮にも行ったけど、そもそも機種自体が置いてなかったりする。大阪まで足を伸ばすと、梅田のヨドバシだとか、天王寺ビックカメラには展示用の実機が置いてあるんだけど、こんどは在庫がない。値段はこれほどでも、売れまくっている。

 であるならば、せめてレンタルで使いたいと思いたち、レンタルサービス「レンティオ」で借りた次第。頼んだ2日後に時間指定でやって来て、その迅速さに驚いたなど。

 旅に持っていくものはこれで揃った。ならば、こちらで身構えるべきものは何なのか、そして尾道で何をどう撮るか、あと何を食べるかくらいまで書いてしまったほうが楽だと思いついてこの記事を書いている。つまり、この記事で旅の計画を整えているといっても過言ではない。そんな面倒なことしなくてもいいじゃん

 ここからは、旅を計画する中で生まれてきた諸課題について検討している。と、お硬く書いたが、まあ当然浮かぶよなということがほとんどなので、気軽に読んでいただきたい。

ネックになった予算と旅費

 まさか青春18きっぷが購入できないとは思ってもいなかった。というのは、以前尾道に来訪した際、青春18きっぷを使い地元から尾道まで4時間強かけて普通電車1本で移動することにより旅費を圧倒的に抑えていた。この力技が通用しなければ、旅費は普通電車だけでも2.5~3倍に膨らむ。実際のところ、旅費がそこまで膨らむのであれば別に新幹線を使ってもいいのではないか、という発想がこの場面で出来たのは、バイトで財力が積み増せる大学生ならではって感じもする。

 実は、JR西日本の在来線でこの区間を乗ってしまおうと思うと、姫路岡山間の長時間電車移動を強いられたり(僕はあの区間の景色が好きなのでどうしても乗りたかったが)*3、どうしても車両数が少なく通勤客と青春18きっぷ利用客のバッティングが起こる岡山周辺での混雑が避けられそうにないのだ。で、その混雑で迷惑してるのはどちらかというと地元の通勤通学民なので、そのへんがどうにもうまくいかないところなのだろうが、何はともあれ目的地に楽に着こうと思うと新幹線を使わざるを得ない。

 そういうわけで旅費は一気に5倍になったのだが(とはいっても遠出をする機会なんて滅多にないのでそれぐらい掛けてもいいような気がする)、こうなると現地での浪費を控えないといけないはずだ。とはいえ、学生旅行なので今までのように食費と「体験費」(渡船やロープウェー)くらいで考えておけばいい。お土産はその場で考えておけばいいし。

 ただし気をつけておかなければいけないのが、「わざわざ観光客向けに設定されたメニューや、吊り上げられていそうな値段には敏感にアンテナを張る」くらいか。ちょっとくらい高くてもそれは観光の対価と割り切れよう、しかし観光客目当てで値段がすごく高いという場合は間違いなく入らないはずだ。実際、Twitterの評判でそういった場所を少し聞いているので、そのあたりは注意したい。

光は敵にも味方にもなる

 今回 Osmo Pocket を使うに当たって、前回使っていた重量級のカメラ(祖母から借りているもの)は持っていかないことにした。被写体深度やこだわれる自由度、なにより写真の画質は断然カメラのほうがいいに決まっているのだが、今回は動画をメインとして撮るつもりだし、なにせ、重い。もうアホみたいに重い。尾道は坂の町であり、坂を登って行くような寺社仏閣があちらこちらにある。それを、カメラを首から提げて一枚一枚撮っていくのは、ちょっと辛い。職業カメラマンの方はそれをされているから凄いなと思う半面、ちょっと一枚一枚の調整は難しそうだなと感じたのも理由の一つ。

 ただ、光やボケ感の調整に関しては、本来そのカメラのほうが優れている。osmo pocket は絞り値(f値*4が固定のため、その辺の調節が難しい。さらに、osmo pocket が強い光の下での撮影を苦手としているように僕は感じる。光の量を直接フィルターで減らすしかなく、しかもそれは別売り。やや太陽光が強い夏や海の照り返しなどでは不安だ。

 そうした意味で、僕が一番不安に感じている場面がある。尾道駅前をまっすぐ出ると海が開けるのだが、そこでの太陽の照り返しは逆光に近い。うまく光を味方につけないと黒つぶれしてしまいかねない。かといって試行錯誤する時間は osmo pocket のバッテリーの持ちなどからしてあまりないはずなので、一発本番という形になりそう。
 光に対しての不安をもう一つ挙げると、osmo pocketに接続して使う形の iPhoneXR の明るさも調節しておかないと撮影しにくい可能性が高い。まあ、これは設定でなんとかすればいいけど。

 ここまで光のことをボロクソに書いているが、光はそもそも映像や写真に味方してくれるものだ。ただ、それが神みたいに「光あれ」といっただけでは簡単についてきてくれる代物じゃないこともよくわかっている。どこに光があたっているのか、被写体によって変えていくこと、そうした基礎を学びたい点からも、尾道という少し慣れている場所を選んだ理由だ。

不要な疲労を減らそう

 「『ひとり旅は、ひとりだから誰も助けてくれない』と思ってやったほうが楽に旅ができる」と前回の旅で学んだため、今回は極力自分の体に負担をかけないように、でも大事なところで体力が使えるように工夫しておきたい。

 動き回ることになりそうな今回の旅では、少しでも節約したいというケチ根性と、新しくなってるし観光客も多いために、駅前のコインロッカーは使えないだろうという想定に立って、極力荷物を減らしている。リュックだとなんでも詰め込めてしまう上に、ついつい嵩張るので電車など狭い所で使いにくい。そこで発掘したのが、中学生の時に使っていたアディダスのスクールバッグである。本当はもう少し格好いいのが良かった。本当に心から、この歳になってアディダスのスクールバッグなんて使いたくないと今でも思っている。これが、通学の中学生・高校生も乗ってくる在来線の旅行でなくて本当に良かった。でも、このバッグなら見渡しはスムーズに効く。唯一の懸念は水物(ペットボトルなど)の管理だが、一応サイドポケットがついているので、無理やりねじ込む。

 さらに、これも前回の反省からなのだが、とにかく細かく水分補給と食べ物を口に放り込んで置かないと脱水するという教訓がある。夏ではないのであまり気にしなくていいかもしれないが、やはり歩き回るので水分はこまめに取る方がいいはずだ。

画面に映すことを意識した撮影

 さて、今回の動画撮影は編集ソフトを用いて後々に成果物を残すためにも行うつもりでいるが、その際にやはり動画の構成を考えて撮ることが重要になりそうだ。なにせ、意味のないショットを撮るのは、写真のような偶発性を持ちづらい動画では構成への雑念となりかねないのではないかという不安がある。もっとも、これは撮ってみないとわからないことだが。構成には、リズムや構図が含まれている。

 構図やリズムを考える際、今回はホワイトボードを使ってみようと思う。すぐに書けるし、すぐに消せる。ラフな構図を書いておいて、それに合わせて撮るというスタイルが理想だ。

 また、明るさを意識して撮らないと、光の強さによっては黒つぶれ・白飛びを起こすので、その辺りはやりながら考えようと思う。

行くつもりかもしれない場所

 以下は行くつもりかもしれない場所を列挙。ソース元はほとんどTwitterの口コミです。

尾道駅
 3月10日にリニューアル。ただテナントはやや観光客寄りの値段設定らしいけど……?二階テラスがあるのでそこからは撮影しておきたい。

・千光寺
 鉄板です。猫と尾道水道を撮るのは既定路線で、千光寺の煽りカットとか岩のカットを撮るかなと。

・駅前の海岸通り・渡船
 福本渡船から見える海がいいので渡るだけ。渡りながら撮ります。海岸通りは商工会議所脇の河津桜が見頃か。

尾道ラーメン
 Twitterの評判から尾道一番・つたふじのどちらかを選ぶ可能性が高い。

・定食屋どん吉
 定食が日替わり700円、てんこ盛りと聞いて。

・桂馬蒲鉾本舗
 単にたまご天が食べたいだけではあるが、老舗の蒲鉾店として有名なのでぜひ一度立ち寄りたい。

・みはらし亭
 本当はゲストハウスだけど、平日は15時からカフェとして営業する、千光寺までの道のりの中間ほどにある元・別荘。

尾道デニム
 買わないし、撮らないけど、一度は寄っておきたいと思っていた。島の方に行かないので時間に余裕があるし、行かないと。

・Satie
 穴場の珈琲店らしい。それ以外の情報が入ってこない。

・KENDAMA ROCK CAFE
 けん玉って、いいよね。

・本と音楽 紙片
 「あなごのねどこ」というゲストハウスの奥にある文化の匂いがプンプンの書店?。

お好み焼き屋
 意外とこっちに関してはあんまり情報がない……因島までいけば「いんおこ」が食えるけど、ちょっとそこまでは行けないかなあ。

 

*1:正確には4K UHDといって、3840×2160というアスペクト比で撮影できる。まあ難しいので今の地上波フルハイビジョン画質の2倍と思っておいてください

*2:

kakaku.com

*3:姫路岡山間は新幹線では約20分・在来線では約90分という格差。JR西の新幹線オーラを感じる

*4:レンズに入ってくる光を調節する度合い。その名の通り、光を調節するための板が作り出す円の大きさを絞る(小さくする)ことで調節できる。絞り値が小さいときは光がいっぱい入るため、手前にピントが合うようになる

ここが変だよコンビニは ~店員が感じるいくつかのこと

 気が向いたら即筆を執れと誰かも言っていた気がするので、コンビニバイトと現在のコンビニ業界にまつわる僕が少しだけ知っていることについてちょっと書こうと思います。

 とある小さな、ともすればほとんどの方々がご存じないような、普通の住宅地に立地する何の変哲もないコンビニに、去年の春から働かせてもらってる身分の僕が知っていることはごくわずかですが、それでもいくつか「ここが変だよコンビニ」と思ってしまうことがあるのです。

「未成年”に”売っちゃいけない」けど「未成年”が”売ってもいい」タバコ

 未成年者喫煙禁止法によって、日本ではタバコは未成年への販売を禁止されています。ただ、未成年者飲酒禁止法によって同様に未成年への販売が禁止されている酒類と比べると、自転車でやってきてタバコを買いに来ようとするバカが未だに2~3ヶ月に1,2回のペースでやってきます。
 タバコを未成年に売ると店側に罰則が行くので、こちらとしても最大限打てる手を打ってタバコを売らないようにしなくてはいけません(まずこのシステムも問題ありすぎだろ、とは思いますが)。それは現状の制度なのでここでは論じないとして、不思議なことが、「タバコを未成年”に”売ったら罰則」なのに「タバコを未成年”が”売ってもノープロブレム」ということです。
 コンビニバイトは、(店にもよりますが)20歳未満の店員が一定数います。かくいう私も大学生ですし、さらに年下の高校生も数名います。だけど、平気でタバコを売ってます。
 ここで言いたいのは、未成年をめぐるタバコの売買に関しての不均衡云々ではなく、コンビニ本部にとって未成年は労働力として貴重であるが故に、未成年がタバコを売ることによって起こりうるデメリットを見て見ぬ振りをしているのではないかということです。
 大学生を含めたバイトをする未成年というのは、働きがいを求めるような一生の仕事とは違って、とりあえず目先の金が欲しいわけです。それが悪いことではないのは事実なのですが、いいように大人に利用されている面があるのもまた事実。未成年はコンビニにとって、流動的だが簡単にしかも安く使えて*1体力もある「労働力」です。
 では、「労働力」とした使われた未成年がタバコを売ることにどういう問題があるのか。ここで、「未成年がタバコを買ってはいけないが売ってもいい」という奇妙な仕掛けが影響を及ぼします。タバコが欲しい未成年(特に高校生・大学生)は大抵自分より年下の店員に未成年か否か判別されにくいんです。これが未成年の喫煙を助長しているのではないかとまでは思いませんが、間違いなく未成年がタバコを売っていることで生まれうるリスクではないでしょうか。

必ずどれか囮になる「中華まん」「揚げ物とフランク」「おでん」

 コンビニはせいぜいレジ前でしか商売できないので、現場としても自然とレジ前に力を集中しがち。そのため、自然とレジ前の「中華まん」「揚げ物とフランク」「おでん」はどうやったって過剰生産しがちです。各店舗で違いはあれど、夜遅くまでフライヤーを稼働させている店は見たことがないので、フライヤーが止まるとそこから深夜の時間帯にかけて売り切ることが目標になり、それでも売れなければ残った商品は深夜遅くに廃棄されます。
 では、この三種類で一番手間がかかるものはどれでしょうか? 中華まんはウチでは保温器に入れるだけなので、作る面で時間はほとんどかかりません(もっとも、売るのには結構時間を要するので、廃棄になりやすいものですが)。となると、時間がかかるのはやはりフライヤーを使って調理する揚げ物系でしょうか。確かに、揚げ物系は作るのに時間はかかりますが、うまく配分すれば*2売れる日はよく売れます。そうなると、実はもっとも時間がかかるのに最後まで残るのはおでんではないのか、と思うのです。
 おでんは各時間帯の人がまたがって調理をしています。朝が来るとともに深夜の人が仕込み、早朝の人が売り、昼の時間帯の人が出汁を変え、夕方の人が売り、次の深夜の人が売れ残った分を廃棄する・・・・・・。揚げ物系統より長く売られ、冬場のメイン商品としてその地位を確保しています・・・・・・が、おでんはこの時期、思ったよりも売れません。
 おでんが売れない理由としてよく言われるのが「秋頃にセールで安くしちゃうもんだから、冬の時期に売れないんじゃねーか」という話。ですが、消費の落ち込みを長引かせる要因としては、やや弱いかなという印象です。むしろ、おでんの売れ行きが不安定であるということに原因がありそう。
 おでんで一番売れる具材は、卵と大根、次いで厚揚げ(私調べ;異論は認める)。そういう具材から早くなくなっていきます。もちろん補充していくわけですが、そうこうしているうちに補充できる具材も少なくなっていくわけです。そうなると、残った具材だけでおでんを構成するのも結構難しくなる。しかも鍋いっぱいに具材が入っているわけではないので、お客さんの目を引かないし、仮に興味を持たれたとしても「あー、こんだけなんやな」と言われるだけだったり。こういう状況でおでんを売るのは難しいモノがあります。かといって、補充の具材をじゃんじゃん発注してくれ!と言えるわけもなし。だって、おでんそのものの売れ行きが不安定なんだもの
 結果的に、深夜の時間帯まで、「中華まん」「揚げ物とフランク」「おでん」のいずれか、特に「おでん」が売れ行きの足を引っ張り、廃棄の憂き目に遭う――ああ、なんと悲しき運命か。

結局、恵方巻きの大量生産は「売れるからやめるつもりはない」?

 皆さんは今年、恵方巻きを食べましたか。地鶏宅では食べました。別に伝統という感覚は皆無ですが、生まれたときにはもう習慣でした。まあ、でも家で食べられる数少ない寿司みたいなものだったので面白かったですけどね。
 さて、恵方巻きといえば、コンビニ業界のみならずスーパー業界などで大量生産・大量廃棄が問題になりましたね。「リサイクル工場に回される恵方巻きだったもの」を見ると、ロスされたものが貧困層に行き届けばいいけれども、恵方巻きみたいな鮮度が鍵を握るもんじゃ無理だし、システム自体に問題あるだろ・・・・・・と思った次第。
 特に特徴のない住宅街にある我らが店舗も、また恵方巻き商戦を繰り広げた日本全国に星の数ほどあるコンビニの中のひとつ。といっても、昨年とはその様子が異なるようで、昨年は一本モノの大型恵方巻きを店買い取りで売っていたのが、今年はペラペラのパンフレットでさりげなく予約販売に誘導する方向へ。
 しかしそれでも恵方巻きの大量生産はスケールダウンしながらも続いていたようで、前日から当日にかけて大量の店買い取りのカットされた恵方巻きが山のように並んでおりましたとさ。全部売れたからまだいいけど、これが親分のスーパーのように大量に並べて売ってあったとしたら・・・・・・背筋が凍る思いです。
 ウチはノルマも自爆営業もない割とホワイトな職場ですが、一部の店舗では未だにノルマが存在するんだそうです。そりゃ農林水産省も文書を出すわけだ。
 少し脇道に逸れますが、私の住む播州地域の地場スーパー・ヤマダストアーが恵方巻きについて、昨年から「前年実績で作る」取り組みを行っています。ヤマダストアーに関しては、知る人ぞ知る播磨灘が誇る春の珍味でありながら不漁の続いていたイカナゴも販売中止を決断するなど*3、実は持続可能な戦略を志向した方が業界全体にとっては得なんですが、この辺は所謂「囚人のジレンマ」というやつなんでしょうなあ・・・・・・。つまり、個別の店舗や企業の利益を優先して全体の利益がないがしろになってしまうという歯がゆさ。

 いろいろ書きましたが、まだまだ思うところがあるかもしれないのでまた思いついたら書きますと言っておいて〆。

*1:高校生は時給が異なるケースが存在する。また、そもそもコンビニ店員は全体的に深夜を除いて時給は安い傾向にある

*2:作りすぎれば売れないのは当たり前田のクラッカー。

*3:

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最近聴いてるのを挙げておきます

 ここ数ヶ月長い文章を試験以外で書いてこなかったので腕がなまってますね。フォロワーさんに最近聴いてる音楽を尋ねられたのをいいことに、いろいろ書きます。

井上陽水「最後のニュース」

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 元から知ってはいたんですが、なんとなくこの曲が頭に浮かんで最近よく聴いてます。循環コードに、毎日流れてくるニュースの裏側を思わせる核心を突いたフレーズが繰り返され、サビは「いま あなたに/Good-Night ただ あなたに/Good-Bye」と語りかけるという構成。
 歌詞の中には作曲当時から変わらない社会問題(虐待・薬物・国際化・男女の人権・銃社会など)が生々しく描かれています。タイトルからもわかるんですが、「筑紫哲也 NEWS23」(TBS)でアンカーを務めた筑紫哲也さんからの依頼で書き下ろされており、それ故の歌詞でもあるんですが、語りかけるように歌うことで「決してそれは他人事ではない」と考えさせる点、凄みがあります。

◆坂口有望「空っぽの空が僕はきらいだ」

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 「夢は必ず叶うはずだった」という歌詞をさらりと書いてのけるシンガーソングライター。ヤバすぎる。風のような歌声と心の痛いところを突いてくる歌詞が調和してる一曲。これで高校3年生ですからね。
 現実はそのまま受け入れられることばかりでなくて、慰めのようなハッピーエンドの事ばかり聞いていても、また一方で残虐なバッドエンドを見ても、どっちにしても心が沈んでしまう今日この頃に、切ないだけで終わらない後悔こそが大事なんだなってこの曲を聴いて思いました。後悔することは決してネガティブなことではない。

◆ニノミヤ店内BGM

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 曲じゃないですけどね。実は私には倒産した企業の歴史を知るという趣味がありまして、ある日その過程で倒産した企業のCMを見ていたら偶然これを見つけてしまいました。ニノミヤは関西で展開していた家電量販店です。
 コーラスワークといい、コシのあるボーカルといい、サックスプレイといい、ただ電気屋に買い物に来てるだけなのにそんな盛り上げられてもというレベルの高さ。店自体は2006年頃に自主廃業してしまって現存していません。私もニノミヤには行ったことがありません。

◆ハンバート ハンバート「ぼくのお日さま」

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 やさしい。とにかくやさしい。
 歌詞のやさしさが沁みる。特に吃音持ちの方や、大事なことがすっと言えない人にとっては本当に刺さると思う。本当に大事なことは、大事だからこそ、言わないといけない。それもみんな歌が教えてくれた。
 ちなみにハンバート ハンバートさんは夫婦で活動を行っていらっしゃいますが、今年は平日にしかライブを行わないそうなので気になった方はそれを考慮の上でライブに行くなりしてください*1

電気グルーヴ「人間大統領」

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 わ け が わ か ら な い 。
 まあ、でもトランプみたいなのが大統領になれるなら人間全員大統領になれるだろバーカ、くらいの気持ちで作ってるのかもしれない。あるいはそうじゃないのかもしれない。元気はもらえる。「人面犬が副大統領」あたりが本当にわけわかめって感じだった。電気グルーヴって凄いんだな、と初めて聴いた僕はそう思いました。

◆M「Pop Muzik」

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 僕はJTのCM経由で知りました。変な曲でしょう。変な曲でしょう?でもこれが大ヒットしたんです。この浮遊感が何回か聴いていると癖になります。気の抜けたコーラスと気の抜けたボーカルの交差が凄い。なによりこんなに凄いテクノが70年代末にはもう生まれていたなんて。イギリスって不思議。

ハナレグミ「家族の風景」

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 僕は、ありきたりで普通の家族なんてのは本当は存在しなくて、どっか変な風景がひとつはあるもんだと思っていて、そういう意味でこの曲のワードセンスは僕の心の琴線に触れたのかなあと推測。デフォルメされた家族像なのに、その深淵にある語られないセンチメンタルを匂わせる言葉。こういう言葉がなければ語られない人たちがたくさんいるんじゃないかな。と、僕が勝手に思ってるだけですが。

 

 こんなもんでしょうか。

 僕の今回のお勧めは「空っぽの空が僕はきらいだ」です。それでは。

人間の弱さ

 人間は弱い。突然なんちゅう事を書いているんだ君はということだが、いや人間が弱いことを認めざるを得ないだろう。テレビを付ければいつだってわかる。いままで素面で真面目そうな人間が影で何をしてるかわからない時代、あるいは普遍的な風景。人間は外面だけ取り繕うのが上手くて、それから内面を照らし出すことなんてしない。僕もそんなに内面を見せたくない人間なので気持ちはわかるけど。

 人間は弱い。本当に強い人間はどうしただろうか。そんなことを、児童相談所の職員のニュースを見て思う。あの人たちだって、いつもはそんなに弱い人間じゃなかったかもしれない。誰かを守る気概が自分たちやそれ以外を傷つけるという、覚悟。でもそれ自体は強さと呼べないモノかもしれない。

 人間は弱い。弱さ故に他人の弱さを直視しない、だけど他人の弱さをフィルター越しに垣間見る。腹黒い隣人の自慰行為は見たくないけど、芸能人の不倫は週刊誌経由のワイドショーで知りたがる。それが悪いこととは言わない。しかし本当に怖いのは、自分の中にある弱さを知らないことかな、とも。

 人間は弱い。年月を重ねるごとに評価や価値基準は変わり続けるはずなのに、どうしてもそれに追いつき続けることが難しい。そのくせ、年月を重ねるごとに風化していく出来事をそのまま語り続けることが出来ない。ああ、なんて人間の歴史の中にある人間の構造は脆いのだろう。

 人間は弱い。だから、人間の弱さを認めなければ生きていけない、と結局自分の中で考えを内面化するしかないかもしれない。誰かと比べて、私はまだ強いと思いながら生きるしかないかもしれない。

 僕たちの社会は、こうやって出来ている、と言い切れるその迂闊さもまた弱さ。結局、人間は弱い。死にたくなるときだってある。

 結局、僕はこの言葉を何の希望も示さずに終わろうと思う。それが人間の弱さに対しての誠実さだと思う。人間が弱いということを、ありのまま受け入れて、可能な限り強くなっていくしかないから。