風見鶏はどこを向く?

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人間の弱さ

 人間は弱い。突然なんちゅう事を書いているんだ君はということだが、いや人間が弱いことを認めざるを得ないだろう。テレビを付ければいつだってわかる。いままで素面で真面目そうな人間が影で何をしてるかわからない時代、あるいは普遍的な風景。人間は外面だけ取り繕うのが上手くて、それから内面を照らし出すことなんてしない。僕もそんなに内面を見せたくない人間なので気持ちはわかるけど。

 人間は弱い。本当に強い人間はどうしただろうか。そんなことを、児童相談所の職員のニュースを見て思う。あの人たちだって、いつもはそんなに弱い人間じゃなかったかもしれない。誰かを守る気概が自分たちやそれ以外を傷つけるという、覚悟。でもそれ自体は強さと呼べないモノかもしれない。

 人間は弱い。弱さ故に他人の弱さを直視しない、だけど他人の弱さをフィルター越しに垣間見る。腹黒い隣人の自慰行為は見たくないけど、芸能人の不倫は週刊誌経由のワイドショーで知りたがる。それが悪いこととは言わない。しかし本当に怖いのは、自分の中にある弱さを知らないことかな、とも。

 人間は弱い。年月を重ねるごとに評価や価値基準は変わり続けるはずなのに、どうしてもそれに追いつき続けることが難しい。そのくせ、年月を重ねるごとに風化していく出来事をそのまま語り続けることが出来ない。ああ、なんて人間の歴史の中にある人間の構造は脆いのだろう。

 人間は弱い。だから、人間の弱さを認めなければ生きていけない、と結局自分の中で考えを内面化するしかないかもしれない。誰かと比べて、私はまだ強いと思いながら生きるしかないかもしれない。

 僕たちの社会は、こうやって出来ている、と言い切れるその迂闊さもまた弱さ。結局、人間は弱い。死にたくなるときだってある。

 結局、僕はこの言葉を何の希望も示さずに終わろうと思う。それが人間の弱さに対しての誠実さだと思う。人間が弱いということを、ありのまま受け入れて、可能な限り強くなっていくしかないから。