風見鶏はどこを向く?

Twitterより深い思慮と浅い現実味を目指します fhána/政治/放送

ふぁなみりー関西に結集す(関西ふぁなサミ レポ)

【はじめに読んでね】

 ……今回の記事は若干内輪的な気もしてきた。参加者に二つ名付けて読み応えをあげようとか考えてた。てなわけで分かんない人には分かんないです。ごめんなさいします。写真もないんで字ばっかりです。もう一度ごめんなさいします。
 あと、生憎自分のスマホで自分でとった写真がほぼ無かったので、写真なしでお送りします。想像力働かせてね。
 このイベントはオフ会の性格を持つため、備忘録的な目的が強いです。
 以下本編。
 

【イベントに参加するまで】

 :~8月6日
 僕が誘われたのは、7月16日、やなぎさん(後述)にツイッターのDMに誘われたのが最初ではないか……と記憶している。
 このイベントは、アニソンシーンを中心に活動している4ピースユニット・fhanaのファン「ふぁなみりー」の中でも、関西に集った人たちが大阪でわちゃわちゃするイベント……という説明で一番なんとかなりそう。
 準備は、主催者であるこがね氏(後述)とやなぎさんを中心に、急ピッチではあるが、ゆるゆると進められた。
 8月5日にはんちょー氏(後述)が参加を表明したことで、今回の参加メンバー11人が出そろうことに。
 
 ……かくして、賽は投げられた!
 

【~1030】

 :~0730
 8月6日、晴れ。大阪の最高気温はどうやら36.9℃だったらしい。夏が、本気を出している。
 ……僕は暑さに対抗しすぎて、風邪引いた。
 大阪駅に向かって走る列車の中で僕は、喉を癒やすためひたすらのど飴舐めながら、ふぁなみりー各位の意気込みとかをツイッターで感じていた。しかしながらその裏側で、朝の明石海峡大橋を横目に、初めて参加するまぁまぁの規模のオフ会的イベントにちょっと不安があった。
 電車は一時間ほどで大阪駅に到着。
 まぁついたところでやることないし、と思ってまたツイッターを見ると、関西勢と言わず、全国ふぁなみりーの中ではお馴染み「リア充疑惑のふぁぼ魔」、ルークさんが「何をしようか」とつぶやいていらっしゃった。
 
 :0740~0820
 そこで僕が、
「七時台に着くんで、そちらと合流してもいいですか?」
 とリプライした所、快く許諾。さっそくどこにいらっしゃるか尋ねた所、
           「 阪 急 」
 という画像だけがドーン。
 候補が結構あって、「阪急百貨店」「阪急32番街」「阪急三番街」「阪急梅田駅」……
 ……判別、たぶん大阪府民でも無理ちゃうか!という脳内結論。とりあえず阪急32番街にいたけど、ルークさんのギブアップで今度は
 「 タ ワ レ コ 梅 田 大 阪 マ ル ビ ル 店 
 での待ち合わせに。
 これが意外に遠かった!
 
 まず、大阪駅の方面まで戻ると案内所へ駆け込み、「マルビルどこですか!」
 ↓
 直進するもどこに何があるかわからない
 ↓
 ルークさんに「大阪駅にしましょ……」とリプ
 ということで、結局は大阪駅に……w ルークさんお手数おかけしました。
 
 :830~1030
 ルークさんと合流。大阪駅構内を歩き(大阪の左側通行とかいろいろ話しながら)、ルーク氏が駅のコインロッカー探しの旅に出たので、一旦SUBWAY前で読書しつつ待機。
 そしてルーク氏帰還時、「ルーク氏イケメン……ッ!」となる出来事が。
 なんと、カルピスウォーターを買ってきてくださったのです!
 実はこの日、僕は遠征予算がそう多くあるわけではなく、さらに翌日も外出……という金銭的に「タイトでもないけど余裕はそうない」状態だったんですね。それを軽い調子で話した所、神の如き対応……!ごちそうさまでした。
 その後は、「おっ、ぼちぼち集まりだしたな」で大阪駅中央南口に。そして、いよいよ参加者が集い始めます……。
 
 さてここで集結した方々をご紹介(第一群)。
 
●こがね氏:徳島から参戦。このふぁなサミ関西の発案者であり主催者。僕と同年代。大人びてる。
●ルーク氏:東京から夜行バスで参戦。ふぁなサミの翌日に北海道のリリイベに参加するほどフットワーク軽い。松潤似のイケメン。
●雪月氏:名古屋から参戦。このメンツでも一番背が高く、ゴツい。
●はんちょー氏:名古屋から参戦。正直に言ってしまうと、あの時金髪でちょっとビビった。
●だけい氏:大阪から。徐々に味が出てくる人。
●あおいさん:滋賀から。「Calling」のとわなさん意識の衣装。
 

【~1300】

 :1030~1100
 この時間、炎天下の大阪を歩くふぁなみりー関西勢7名。どこへ向かっているかというと、当初からの集合場所である「アニメイト梅田」。とはいっても、すぐ集合するわけではなく、ルークさんが大阪に来るまで何も食していないことを考慮し、近くのモスバーガーへ入った。
 このモスで、神楽さん、ゆーく氏が合流(紹介は後述)。ゆーく氏の塩サイダー味キャンディをゴチになりました。
 モスで集ってルーク氏がガッツリ食した後(なんかルーク氏弄りみたいになってるw すみませんw)、「やばい! 遅れるかも!」と言ってたやなぎさん、無事到着。
 残るメンバーはただ一人。
 外でベンチに座るそのメンバーを偵察さながら観察した後、いよいよ全員集合!
 
 さてここで集結した方々(第二群紹介)を紹介。
 
●神楽さん:兵庫から参戦。動物看護師だそうです。
●ゆーく氏:兵庫から参戦。放課後のプレアデスのひと。いろんなところでお世話になってます。
●やなぎさん:奈良から参戦。よくしゃべりよく踊る。レポのクオリティが高い。
●YUTA氏:福岡から参戦。見た第一印象にみんな驚いた。若いっ!
 
 :1100~1300
 >>>>>>>ゆーく氏の社会人スキル発動!!<<<<<<<
 (社会人スキルのおかげで)カラオケの予約も取れたところで、お昼の腹ごしらえに、コスパの良い某緑色のファミレスへ向かうことに。ゆーくさんお世話になってます。
 お初天神は賑わっていた。なんというか、初めて訪れる僕の目には「ディープな大阪」というか「ダイナミックな大阪」感が凄い。賑やか。
 その一角に、某ファミレスはあった。
 
 十一人もファミレスに入ると結構ぎゅうぎゅうになるだろうかと思っていたが、割と余裕ある座席。
 さて何を注文する?となって皆様ほぼほぼ500円以内で収めるあたり、この某緑のファミレスの特徴を分かっていらっしゃる。一番ゴツくても600円出せば収まる。
 そしてここでだけい氏のセンスが炸裂する。
 なんと、「ミラノ風ドリア」に「ラージライス」を追加したのである。何たる暴挙。だって、ご飯ものに白飯の組み合わせなんだぞ。「お好み焼きにご飯」を代表とする「炭水化物×炭水化物」をやる関西人も真っ青である。
 しかもラージライスから攻略してるとか、ドリアおかずにしようぜせめて……
 それからYUTA氏も凄い。女子力高い。
 なにかといえば、「デザートフォカッチャ」を頼んだのである。時刻は正午を過ぎていない。昼飯にスイーツ、どこまで女子力に磨きをかけるつもりだ……!?
 
 ドリンクバーでも珍事が起こる。
 ゆーく氏&だけい氏、はんちょー氏に「アイスティー」と称し「アイスティーにジンジャーエール」を持ってきた。ドリンクバーあるあるは止まる気配を知らず、
 「コーラ+コーヒー+炭酸水+グレープジュース」…恐ろしくグロい。あまり心地いい味ではないらしい。
 「烏龍茶+ガムシロップ+柑橘系」…やなぎさん考案。策士策に溺れる。そう、予想に反して美味いのだ。
 と暴走した。今度は自重しましょう(ハンコを押す音)。
 
 ちなみに小ネタですが、ゆーく氏と僕は放送部つながりでけっこう打ち解けた感あった。あとこがね氏も同学年らしく、「大阪より神戸のほうが近い」的な話をしたと記憶している。
 
 某ファミレスを出た後、カラオケまで時間があるということでゲームセンターへ。
 僕が真っ先に目をつけたのはスマホ充電器。「小銭なら……!」と300円投入するもうまく取れず、意地でも取ろうとするふぁなみりー各位(ゆーく氏、だけい氏、ルーク氏)。しかし残酷にもアームはその充電器をつかむことはなかった……。
 後で分かったけれど、どうやら器具で止められていたらしく、それを知った時はさすがに腹を抱えて笑ってしまった。
 

【1300~1900】

 :1300~1850
 ゲームセンターを去ったふぁなみりー一行。
 いよいよ、カラオケが始まる。
 ゲームセンターから徒歩数分、某カラオケ店5F。十一人集うにはちと狭いか?というU字型のソファの部屋であった。ここに来るまでにドリンクバーでドリンクを注ぎ、5Fに集うふぁなみりー達の姿は、他の利用客からどう見えていたのだろうか(全く気にしなくていい)。
 カラオケの部屋に入った瞬間に「Calling」のCMが流れて大盛り上がり。写真!写真!と言って間に合ったのは誰のカメラだったんだろう。
 で、集結を確認し、乾杯を交わした後は各人の自己紹介。安定である。
 
 それが終わると、いよいよカラオケが始まる。
 先に総合的な感想を記しておくと、もう皆さん恐ろしいまでに歌がうまい。これも運命だというのかっ……!(携帯電話を耳に当てながら)
 
 <注:プレイリストはあいにく覚えてないので、ここからの様子は大まかで記していく>
 
 たぶんあの場所には、「fhanaを原キーで歌える猛者」が集っていた。
 はんちょーさんの「いつかの、いくつかの、きみとのせかい」でカラオケがスタート。そのあとは、女声デュエットの「ケセラセラ」や「kotonoha breakdown」、「tiny lamp」、「コメットルシファー」など様々なfhanaの曲が歌われる中、新曲の「Calling」も歌われるなど、序盤はふぁなサミらしくfhánaの曲で固めてきた。個人的にはやなぎさんの高音響く「little secret magic」とか男声デュエットの「White light」が印象に刻まれた。
 その後は、藍井エイル「翼」を皮切りに他シンガーなどの曲が中心に歌われた。
 ここからは、印象に残った強烈な曲(もしくはシーン)を挙げていく。たぶん順不同。
 
●fhana「虹を編めたら」(ルーク氏&やなぎさん)
 この二人の掛け合い、軽やかで虹を編んでる……!ルーク氏のイケボと、やなぎさんのクリアボイスが響きあう
凛として時雨Unravel」(はんちょー氏)
 高音が圧倒的。「歌い始めたらこっちのもん」とは、こういうことを言うのかもしれない。というかこの曲歌える人を生で見ることが出来るとか、思いもしなかった。凄い。
●シャイニング・スターズ「GOLDEN☆STAR」(やなぎ氏)
 一人十一役に挑戦するも、登場する「こがね」というワードに爆笑してしまう。頑張ったで賞。
ClariSコネクト」(神楽さん&あおいさん)
 高音を美しく歌う二人のデュエット。
○やなぎ氏始めふぁなみりー一同から喉を心配される地鶏の図。
綾野ましろVanilla Sky」(神楽さん&雪月氏
 KalafinaOne light」(上に同じ)
 この二人のデュエット、音に深みが出て良い。歌詞にかっちりハマったキレキレさ。思わず翌日CDレンタルしに行った。
○喉を痛めている人に向けて投入された「ボイスケアのど飴」。凄い効く。僕は雪月さんが配ったものだと思ってたものだったが、実はゆーくさんだったのでしたの巻。
●さよならポニーテール「魔法のメロディ」(ゆーく氏&僕)
 さよポニファン同士が意気投合した瞬間。そしてゆーく氏の歌声に酔いしれる僕。
Choucho優しさの理由」(やなぎさん&僕)
  僕は多分ほぼ飛び乗りで歌った。なかなかこの曲は歌いあげると気持ちいい。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONソラニン」(ルーク氏)
 この日の最高点・91点! グルーヴ感が半端じゃない
オーイシマサヨシ君じゃなきゃダメみたい」(ルーク氏)
 惚れてまうやろー! サビの最後でガツン!と歌い上げた所、私見てましたよ(目を輝かせて)
奥華子ガーネット」(はんちょー氏)
 奥華子の繊細な歌詞がはんちょー氏の歌声に乗ることで、優しいメッセージになる……!泣きかけた
樋口了一1/6の夢旅人2002」(僕&こがね氏)
 僕も喉を潰しかけながら、趣味が合うな~!と思っていた曲です。めっちゃ楽しかった!次は万全のコンディションで歌いたい
●KMM団「ウィッチ☆アクティビティ
 僕、TECHNOBOYS好きなんだなあ、って思いながら燃え上がったムードに身を任せてました。最高。
●石鹸屋「⑨、変のバラッド」(ゆーく氏)
 ネタ曲を声の節で歌いこなすゆーく氏。まるで戦場の荒馬を乗りこなす名将
和田光司Butter-Fly」(けっこう多くの人)
 みんなイケメンでした。格好良かった!それしか出なかった
BUMP OF CHICKENHello,World!」(ゆーく氏&僕)
 「扉開けば ねじれた昼と夜」 駆け抜けるダブルボーカル あの時僕らは確かにバトルしてた。このふぁなサミではゆーく氏に本当にお世話になりました
 クールで痺れた!
●「とびら開けて」(ルーク氏&あおいさん)
 関東ではルーカナで歌われたという、ある意味伝説の曲。ルーク氏満足気で良かった!
多田葵「灼け落ちない翼」(神楽さん&僕)
 Charlotteの曲の良さを分かち合える人がいてなかなか楽しかったです
  
 このカラオケは6時間にも渡り、そのシメを飾ったのはこの曲だった。
●fhana「Outside of Melancholy ~憂鬱の向こう側~」(全員合唱)
  そう、ふぁなみりーにはお馴染みケビンジャンプ。しかしこの部屋には狭すぎる熱気とジャンプ。それでも僕らは、確かに憂鬱の向こう側にいた。
  

【~淀川花火】

 :1900~1930
 カラオケ店を(熱唱しきった顔で)出て行くと、ルークさんがなにやら忘れ物をした模様。どうやら、やなぎさんのファイルをなくしたらしかったのですが、やなぎさんは、
 「家に2つくらいあるから大丈夫!」
 と彼を励ましていました。なんか、すごく泣きそうになって、気恥ずかしくて、前を歩いていました。
 
 :1940
 この日は淀川花火大会でした。
 大阪駅の広場で、ビルに隠れた花火を見て。
 
 僕は、花火に背を向けて、夢の時間にお別れするために、挨拶をしました。
 また会うための握手。
 忘れません。
 そう心の中でつぶやいて、僕は大阪駅の改札口に向かって、背を向けて去って行きました。
 
 :EX
 大阪駅を発って淀川を渡る電車から、タイミング悪く通過した電車の後に、小さくではありますが花火が見えました。
 

【そして、振り返る】

 僕らfhanaのファンの総称として、ふぁなみりー、という名前が決まってもう一年になる。
 僕はその頃、fhanaにぞっこんではあったが、「ふぁなみりー」ではなかった。いや、正確に言えば、「ふぁなみりー」としての活動はしていなかった。
 実は僕が「ふぁなみりー」と名乗りだしたのは今年に入ってから、なのだ。
 
 だから、正直、初めにも書いたように、初めて参加するまぁまぁの規模のオフ会的イベントにちょっと不安があった。
 それでも、ルークさんとの出会い、皆さんとの合流、カラオケ、花火、別れに至るまで、すべてが宝物で、「憂鬱の向こう側」だった。
 この時間は、だれひとりいなくても成し得なかった時間だった。まるで、特異点一つ一つが繋がった、二度とない時間だった。
 別々の世界線が重なりあってうごめく様は、まさしく「Calling」のMVだと、発見したのだ。
 
 fhanaは、いまも「細分化された今」をつなぎ人々を楽しませている。
 ネットの理想も現実も、すべて知っている彼らだからこそ、僕は興味を持ち、音楽を聞いてきた。音楽の聞き方が変わる中で、自らの青春時代に寄り添ってくれる音楽は、僕にとっては彼らだったというだけといえばそうだけれど、少なくとも僕はそういう音楽を聞くという機会が持てて幸せだなあ、と思うのだ。
 そしてネットでこういうふうにファンの方々と知り合って、「細分化された各々の今」が繋がりだした。
 あの日集まれたのは、間違いなくfhanaの音楽の魔法のおかげだったのだろう。
 
 fhanaの2ndアルバム「What a Wonderful World Line」から、ファイナルトラック・「Gift Song」の歌詞のように、
 
それは贈り物だね
ほんの少しの幸せの
目を離せばもう消えているよ
だけど確かに
その時交わったんだ
ほんのひとときだけど
君と僕はそうただ独りのまま
わかりあうのさ
 ただ一人では見えなかった世界や感情を知りながら、その素晴らしさを個人と集団の狭間にあるどこかで共有しようと、そうあの時無意識に思った。それが為された時、その感情は「贈り物」になるのだ。
 
 ※ここまで書いといてあれなカミングアウトですが、fhanaのライブはいままで一度も行けた試しがないので、今度のリリイベは確実に行く。これは確定事項。
 

【最後に】

 皆様がこうしてイベントに暖かく迎えてくださったことに感謝しかありません。
 この場を借りて、皆様に御礼申し上げます。
 ありがとうございました!
 
ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)
 この文章は初代ブログに掲載した内輪ノリの強めな文章となっています。こんな俺ってノリ良かったか・・・・・・?

『天体のメソッド』~願いを叶える場所へ

 ラストシーンからの逆算がうまく作られたアニメ、「天体のメソッド」。
 初めて見た時、そういった印象を受けました。
 

前置き① クリエイターたちの話

 ◆◆◆
 唐突ですが。今回は、テレビアニメ『天体のメソッド』について(というかfhanaの楽曲について)考察を重ねたいと思います。わりとストーリーの文脈が分かってないと辛いので、全話通観者(14話は筆者未視聴)のみで。さらに言えば、最後はfhanaのファンでないとなかなか理解しづらい話も入ってるので猛者だけでいいっす……
 一応前置きの前置きはこのあと、さらに次の前置きは「天体のメソッド」自体のイントロデュースで。
 
 今回の記事はアニメの重要な筋をネタバレしますので、ここで関係ない話題で一クッション置くことにしています。
 最近、fhanaを大好きなファンの皆様、「ふぁなみりー」の皆さんとTwitterでつながらせてもらってるんですが、結構fhana以外の好きなアーティストの話も伺うんですよね。
 で、fhanaってのがどういうグループか、というのと照らし合わせた時に、ファンの方々が好きなアーティストの中に結構傾向が見えるな、と。
 fhanaってかなりクリエイター気質で、男3人(佐藤純一、kevin mitsunaga、yuxuki waga)が全員作曲できたり、楽曲提供したりするんですよ。個人でも戦っていけるんですけど、「和」の力の凄さを知ってる。そういうユニットです。
 クリエイターとして足し算の発想と引き算の発想の両方を持ってるユニットって、実は結構珍しいタイプで、最近は人との関わりが多いアニソン業界に分布してるんです。Q-Mhzだったり、GARNiDELiAだったり、eyelisだったり。もっと広義だと、北海道を拠点に活動されているクリエイター集団・I'veもそうですね。
 それぞれ形は異なりますが、芯があるんです。メロディーや歌詞に。特にQ-Mhzは、アニソンの作詞業では「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラソンで有名な畑亜貴さんがいたり、fhanaだってグループ外ではありますが、元メカネロの林英樹さんがいたり。一線で戦った経験があるからこその、ハマるセンテンスセンスがあるんでしょうねえ。
 個人的には、Q-Mhzeyelisが来てます。特に後者のボーカル、男の方もいらっしゃると聞いた時の「別人では?」感凄かったけど、ちゃんと通して聞くと同じスタンスで、一つの筋を通して、でも個性を発揮されてて。色の付け方が違うんだなあとしみじみ思ったのでした。
 

前置き② 『天体のメソッド』との出会い

 ◆◆◆
 ツークッション目は、アニメ自体の説明です。アニメは知ってるよ、とか、放送局事情で名前だけはって言う奇特な方はここで止まると、アニメを見るときになったら楽しめると思うよ。
 「天体のメソッド」が放送されたのは2014年10月クール、TOKYO MXテレビ北海道サンテレビなど。
 で、その放送当時はまったくfhanaなんてのも知らなかったし、ましてアニメに触れる機会は皆無でした。むしろあの頃の自分は、アニメ文化を心のなかで軽くヘイトしてたくらいにとんがってましたぞ。
 深夜アニメ文化に触れたのは、P.A.WORKSが制作していた2015年夏クールの「Charlotte」がきっかけで、そこから「ハルチカ」とか「少女たちは荒野を目指す」とか、まあ学園モノが中心というか学園モノしか見てないんですよね。
 学園モノに憧れる背景はお察しください。なお現役の模様。
 さて、なぜ「天体のメソッド」に出会ったかというと。
 fhanaの佐藤純一さんのTwitterで、こんなことがRTされてたんですね。
天体のメソッド、AbemaTVで配信!」
 (AbemaTVってのは、テレビ朝日Amebaが共同でやってるネット放送局です。同時視聴の場合無料で、タイムシフトは有料です)
 これには驚きました。そもそもめっちゃ気になってたアニメで、「星屑のインターリュード」が主題歌だということも知ってましたが、どのように使われるかまでは想定していませんでした。でも、このアニメの本質までを読み解こうとは、この時は露程に思ってなかったですね……。キャラデザがガールフレンド(仮)の人なのかあ……見るの大変そうだなあ、とさえ思ってました。
 何はともあれ、第一話の配信をまず見ました。
 

忙しい人のため…と見せかけて実はめちゃくちゃ深読みした考察

 ◆◆◆
 (ネタバレ!)
 というわけで「天体のメソッド」と「星屑のインターリュード」の考察です。
 第1話。
 不思議な、でも街の人からは特に敵視されてもいない円盤のある街。引っ越しのシーンからスタートし、序盤からひょっこりノエルが登場し、んでってノエルが思い出の写真を壊してしまい、乃々香の怒りを買って追い出され。追い出されたノエルに謝ろうと、町中を駆け回っても見つからなくて。訪れた天文台で、ノエルを見つけて。
 第1話から急展開だなあと思っていたら、今冷静にまとめたらこれだけの文章です(修一さんはどこへ行ったんやw)。でも、そこまでに至る感情のゆらぎが、ラストから逆算されて絶妙にブレンドされてるんですよね。ノエルを探してる時に出会った「しいはら商店」のこはるがそれを如実に表してますね。メインキャラではノエル以外でたぶん一番最初にまともに話してるはずなんですが、ラストまで一番ぶれずに、友達であることを大切に、誇りに思うこはるの性格が、まったく感情の盛り上がりを期待できないシーンですら見えてくるんです。
 第1話のラストのセリフで、ノエルが、
「あなたの願いを叶える場所へ!」
って乃々香に話しかけるんです。ここから、乃々香たちの周辺の友人関係の、乃々香が引っ越してから7年間止まっていた時間が動き出す契機だったんです。
 で、このシーンで、「星屑のインターリュード」。
 でも、序盤も序盤。ここで真意を汲み取ることは当然出来ませんでした。
 
 第2話では、学校シーン、さらには霧弥湖町の空に浮かぶ円盤を追いだそうとするメインキャラの一人、水坂柚季が登場します。円盤反対を訴える柚季は乃々香、さらにノエルも巻き込んだりしていきます。
 ノエルが「円盤さん、嫌い?」と聞いた時に乃々香は「友達のために何かしてあげたい」と言ったその横顔から、やっぱり友達思いなんだけど、それゆえに不器用なんです。
 で、このシーンもまたラストから逆算されてるなあ、って見えてきます。
 第3話では、メインキャラ・戸川汐音が初めて乃々香とまともに話します。でも乃々香は彼女を徹底的に無視していた汐音に、「今度名前を呼んだらビンタする」と言われ、なんと有言実行されます。
 いやあ、このシーンは本当にびっくりしましたね。ビンタのシーンを克明に描いたアニメって、あんまりないよね……パンチは多いのになんでだろうね。
 第3話ラストシーンから第4話では、校外オリエンテーションによって昔の、友達との楽しくも苦い思い出のかけらが乃々香に思い出されます。そして、そこには、知らなかったはずの思い出、円盤を呼んだ記憶、そしてそこにはノエルもいた。
 ノエルは、純真だから、乃々香にとっては無意識的に残酷だよなあ。しかも、迷子になった彼女たちを探しに来てくれたはずの友人たちも微妙な表情、柚季は乃々香をビンタし、汐音に至っては、「忘れてたと言ったら、許してもらえるとでも思ったの?」。
 でも、これってある意味では当然なんです。誰も悪くないけど、当然で。
 誰だって、大切な友達だった人が突然いなくなって、ひょっこり戻ってきて誰も覚えてなくて、でもその友情の証は持っていて、っていう状況に置かれたら、切なくなるんですよね。
 第5話では、そんな柚季と乃々香の後悔と心のササクレが瓦解していくまでを丁寧に描いてます。
 柚季は、「しいはら商店」の前の道路で、あろうことか公道の真ん中で「円盤反対!!」と声をあらあげます。こはるはそれを、あえて冷たく無機質で他人行儀で、でも友のために強く遮ります。それでも柚季は、今まで支えてくれていたこはるがそういうことをいうのか、と酷く落ち込み、分かり合えないと感じたのです。
 柚季の行動の裏には、やはり乃々香たちとの、円盤を呼んだ日の思い出がありました。思い出を忘れていた乃々香に対して。
 しかし、もう一つ、円盤を恨んでいた、というより、円盤がなかった頃の思い出も関係していました。
 それは花火の思い出。兄の湊太と迷子になった祭の思い出。結局、探しまわって、花火を見て、焦って。そして、その帰りに兄は怪我をして。
 そのことを思い出し花火を上げると宣言した乃々香は凄かった。
 こはると頑張って準備してる中でも、個人的に粋だなあと思ったのは、花火が打ち上げられた最後の祭りのポスターを掲示板に貼ったことですな。見てくれる確信がない中で、柚季がそのポスターを見た時はほんとすっげえなこいつら、って思いますわな。
 そっからの展開は、そこまでの文脈を把握していないと、感動は減ってしまう。ある人のブログに、この話でだいぶ視聴者はより分けられたのか、とも書いてありましたが、私も同感ですね。
 結局、花火は打ち上がりませんでした。
 しかし、ここのラストでノエルが円盤に花火を投影してみせたのです。
 これには僕も「すげえな……ノエルイケメンかよ」の感想しか出ませんでした。実際、リアルタイムでツイートが残っていますw。
 
 ちなみにここまでで「ノエルは乃々香が東京にいた7年間、ずっと天文台で待っていた」という事実が判明します。やばいぞおい。なんてええ子や。
 
 第6話、第7話はやわらかな日常回に見せた伏線と心情描写のオンパレード。第6話は温泉回に気を取られている視聴者は少なかったですね。すげえや。
 柚季が乃々香に、おもいっきりビンタして、と言ったそのシーンで、彼女はビンタせず、それでも友達として分かり合うことを改めて伝えました。登場人物の心情のゆらぎが、しっかりと描写されていました。
 あと、たぶん湊太が店番してたシーンから「不憫キャラ」の完成に至ったんだろうなあ。こりゃあミンチよりひでえや(褒め言葉)。
 第7回は、いきなり出発のシーンなんですが、やんわりとここでも伏線を張る脚本半端じゃない。
 「ノエルは、円盤が見えないところに行くと大変なことになるの」
 そして、電車で揺られて、たどり着いたのは、乃々香の母、花織の墓。母の言葉を思い出し、少し泣くも、友達が支えてくれる。少しずつ積み上げていったストーリー。
 その頃、ノエルと湊太は、ノエルが遊び相手にしていた”キリゴン”の立て看板を怪我させてしまい、治そうとしたら更に重症になってしまった……一見微笑ましいシーンですし、実際微笑ましいです。ええ。
 でも、これは友情のメタファーです。これは、こはるたちが作り上げた看板です。それが壊れるということにメタファーの真意があるのではなく、「壊れてしまったら治す」ということに真意はあります。ある意味、ここも伏線なのかな?
 第7話のエンディングでは汐音のいないベンチで、ノエルからある伝言を伝え聞きます。最後に雪が振り、fhana「ホシノカケラ」が特別エンディングとして流れます。儚くも切ない、この場面を切り取ってメロディーにしたかのような、そんな曲。
 
 第8話も日常話風味があるものの、ストーリーの転換点です。
 前回最後に伝えられた伝言をもとに、考えた乃々香は、文化祭の企画としてプラネタリウムを作ろうと、汐音を巻き込んで買い出しに行き、そして失敗(火事寸前で失敗って……w)を繰り返しながらも準備が進みます。
 余談なんですが、アニメで描かれてる高校の文化祭ってなんであんな大規模なんですかね。「氷菓」のカンヤ祭は規格外としても、この「北美祭」もなかなか大きいスケールですよこれ。それとも、うちの高校がちっこいんか?
 ……本筋に話を戻します。
 汐音は、乃々香と、夜のプラネタリウムで、言葉をぶつけあい、信じ合います。
「戸川汐音っていいます。私と、友だちになってください」
 このシーンは、汐音が初めて母に連れられて、人見知りながら乃々香に話しかけ、友だちになった日の再現をしているシーンでもあります。思い出だけが全てではありませんが、思い出がすべてを作っていると言っても過言ではありません。だからこそ、思い出を取り戻した二人にしかわからない世界ってのもありますよね。
 
 第9話は、そうやって友として誓い合った乃々香と汐音にも関わらず、汐音が、
「あなたとはもう一緒にいられない。さよなら」
 と言い残して、去っていってしまいます。そしてこれが、そしてこの発言に至らせた理由が、ある意味「物語」の終末に向けての大きなキーポイントの場所になります。
 一方で、初めて作中でノエルが「円盤の見えない場所」に行き、そして乃々香とおしるこを楽しむ姿が、この後の話との対比もあって結構輝かしく見えます。
 しかし、この話のラストシーンで、乃々香にとって結構ショックな事が起こります。
 汐音には、改めて否定され、ノエルは「円盤の見えない場所」に無理をして行ったことが祟り倒れてしまいます。
 この、ノエルが「北美祭に行けることになったよ」と言った背景には、乃々香たちが確かに願った「みんなとにっこりでいたい」という願いが北美祭で叶うと思い、それなら自分の体は関係ないだろう、と思ったノエルの願いに恐ろしく願いに純粋なまでの心があるのではないでしょうか。
 その想いに応えられなかった乃々香も、たぶん後に後悔してるかもしれないなあ……。
 第10話では、そうして倒れたノエルを乃々香が、「円盤の見える場所」、つまり乃々香の家に連れて帰ります。もうこの時期まで来ると汐音以外の3人はだいたい察して早く行ってやってやれ、と考えてますね……。
 ノエルが目を覚ました時の仕草はここから始まっていくパートの中では異色の茶目っ気のあるものですね。
 お見舞いに来たこはる、柚季、湊太に対してノエルが円盤だと告げた乃々香。もちろん、ちゃんと頷いて、受け止めてます。
 一方で、汐音に「願いがかなったらノエルは消える」というカミングアウトもされたその3人。こちらには、戸惑いを隠せません。
 そして、自分が犠牲になることで、ノエルが消えずにすむと思った4人は、自己犠牲を繰り返します。他の3人に比べて長い時間私がいなければノエルは消えなくていい、と思い続けてきた汐音と比べると、他の3人はノエルとの思い出、そして円盤であることをつい最近知った事もあって、選択は同じでも、思いやるほどに心が痛む。そんなシーンです。個人的には、ここの掘り下げがもっと欲しかったなあ。
 第11話は、ノエルに消えてほしくなくて、そんな4人は今まで以上に乃々香を避けるようになります。
 学校のシーンで、乃々香が柚季に叫んだシーンは、第4話辺りで湊太が柚季に叫んだシーンとダブって見えてきます。気持ちを伝えるその場所で、やっぱりストーリーが動くのだなと思いますね。ちゃんと学校を無碍にしてない。学校もストーリーの重要な一要素であることを認めてるなあ、とわかります。
「今夜、天文台に集まろう。皆で一緒に流星群を見るの」
 乃々香がこはるにそう話しかけ、そしてこはるは賛成してくれました。
 それから、汐音と思いを語り合います。ここの汐音は、思いを語るというより、ぶつけてきてるという方が正しいかもしれない。
「どうして放っておいてくれないの!友達でしょう!」
 そうです。彼女らは、友達です。でもそれ以上に、ノエルも大切な仲間の一人でした。だから失いたくなくて、それなら私が抜けたら……と思いつめてた汐音の心中を初めて乃々香にぶつけました。
 汐音は、我慢しちゃう子だ。乃々香がそう伝えた時の涙。
 「流星群を見たかった」と汐音が伝言した時のノエル、もしくはプラネタリウムで一度は仲を直したふたりを思い出したのは僕だけじゃないと思いたい。
 同じように、自己犠牲もあって離せなくなっていた水坂兄妹も、互いに円盤に願った願いが同じであったことをしっかりと思い出して語り合いました。
 柚季も相当な意地っ張りで、湊太がえらく大人のように優しく、んでって意地も張らず正直に思いを話したからやっと話すことが出来た。あの兄妹は、多分どっちも過去よりも前だけ見ようと思ったら見ることが出来る二人だけど、そのために自分の心を封じ込めちゃったのかも。
 彼らは、「ノエルの願いを叶える」と決めました、
 彼らの願いはすべて「みんなと仲良くなれる。喧嘩してもすぐに仲直りできる」ことでした。
 そして、星の夜、天文台に向かう乃々香と汐音。彼女らを見つけたノエルが、「迷子さん?」と話しかけると、汐音は「そうかもね」と。
 友情の中で、失うもの、願いの中で、叶えたい、でも叶えるべきか迷う、その感情の環状の迷子さんになった、ということなんだろうと思います。ここもある意味ではメタファーですが、どちらかといえば直喩。
「消えちゃうのに、どうしてそんな顔しているの? 乃々香と会えなくなるのに、悲しくないの、寂しくないの?」
と汐音がノエルに問いかけると、
「ノエルは皆が嬉しいとポカポカ、悲しいとチクチク感じる」
と。ノエルは悲しみが欠如しているわけじゃなく、別離の悲しみが欠如してるんだと、そう思っていた時期が私にもありました。
 
 天文台での5人はもはや昔のように。乃々香が昔のように汐音を紹介するそのシーン、涙が溢れて、僕は前を必死に向こうとしました。
 汐音が、みんなの写真をしっかりと撮って、残そうとしています。
「ちょっと動かないでよぉ……うまく撮れないじゃない」
 めっちゃ泣いてる柚季がそんなセリフを汐音とノエルに言ってるんですよね……。ギャン泣きですよ。皆が思い思いにシャッターを切り、それぞれの思いにふけっています。
 空を見て、ノエルが、帰らないと、と言いました。
 皆と話すノエルを見て、乃々香が、泣きながらこう言います。
「にっこりしないと駄目なのに…」
 乃々香の母・花織は、たしかに、「辛い時こそ笑顔で」と教えました。しかし、泣くことは教えませんでした。いや、教えなかったというより、教えられなかったのだと思います。きっと、懸命に伝えようとして、歯抜けの状態で乃々香に伝わってしまったのだとしたらかなりの悲劇ですよ……当然、誰も責めようとは思いませんが。
 流星群の夜。
 みんながニッコリする様子を見て、ノエルは、安心しきったように、しかし、僕達には驚きの表情を見せました。
 泣いたのです。あんなに、別れる前までは、別離の悲しみの感情なんて無いと思っていたノエルがです。
 ノエルもまた、願いの中にいました。悲しくて、でもその感情がわからなかったノエルは乃々香の元に走りだし、手を伸ばしましたが……
 その手は、届くことがありませんでした。
 この第11話は特別エンディング「天体のメソッド」が流れました。
星に願いを込めて 思いを解き放つ時 あぁいつか夢見たあの日へ帰れる気がするよ 
古の扉を開けることが出来たなら 私たちは手をつなげる そう信じていたいよ だから私ここにいる みんなの願いの中
 ノエルにとっては、「夢見たあの日」でした。それなのに涙が溢れて止まらなかったのは、僕は心の底から悲しく思ったし、消えた後はどうなってしまうのだろう、と考えました。
 この「天体のメソッド」の歌詞が、一番ストレートに世界観や願いについて歌ってますよね。他の曲は若干回りくどくメッセージを練ってある曲が多いので。
 
 第12話が始まった瞬間、僕は目を疑いました。
 なぜなら、流星群の夜にいたはずの乃々香が、引っ越しの当日にタイムスリップしていて、しかも彼女の知っている霧弥湖の姿――円盤があって、ノエルがいて、円盤まんじゅうが売っていて――はそこにはなかったのですから。
 その場所には、ノエルはいませんでした。
 この時、ノエルが消えてしまう、という言葉の真の意味と、「ノエルはいない」と如実に裏付けられるその悲しみを味わいました。
 存在していないことを否定するのは簡単ではありませんが、肯定するのはもっと難しいことです。心の空白は、その人でなければ、あるいはこの時はノエルでなければ、埋めることが出来ないのですから。
 今回、乃々香が味わった孤独はそれだけではありませんでした。ニッコリでいたいと思う友達が、誰一人ノエルのこと、流星群の夜のこと、それまでに至る事を知りませんでした。いえ、汐音は東京に引っ越していました。
 「汐音は?」と聞いて、「引っ越した」と答えが帰ってくるまでに、やはり乃々香の顔は曇っていました。
 誰もノエルのことを知らない世界。自分がノエルのことを忘れてしまえば、思い出す人はいなくなると考えたことは、天文台の側でノエルについて知っていることを鮮明に思い出しながら語っていきます。
 このとき、天文台は「円盤の街だった世界」より荒れ果てているように見えました。機械も壊れてましたし。そしてそれが、ノエルのいない世界、友達とにっこりする願いを叶えられていない世界の象徴だったのだと思うと、納得がいきます。
 乃々香が、このままでいいわけない、と。ノエルに会いたい、と必死に願ったその後ろには。
 白いワンピースと麦わら帽子のスタイルで立つ汐音がいました。
 「久しぶりね」
 「7年ぶりだね。あの頃は……」
 「私が覚えているのは、流星群の夜」
 思わず涙ぐむ乃々香に、汐音は、「あの子が大好きだったのは、そんな表情じゃないでしょ」と優しく語りかけます。
 汐音も汐音なりに、自分しか持っていないはずの記憶を考えてきたのだと思います。どうやって気づいたのかは描写がありませんが、あの時汐音が来なければ物語は世界線が変わっていたのだろうな、と思いました。
 
 第13話。
 ノエルについては、他の3人も、記憶にはないのに離れない知らない女の子の思い出として刻まれていました。
 この話で一番印象が変わったのは、湊太ですね。ストレートに感情を出すことが多くなったというか、冷静さはそのままなんだけど、背伸びしてるようには見えない。
 柚季についても、「円盤歓迎」の看板を作るなど、ある程度は記憶あるのかもしれない。茶目っ気あってこの時のシーンは思わず笑ったけどもちろん涙目。
 こはるはもはや作品通して変わってない感じがあるんだけど、それはいい意味であって、友達でありたいという筋の強さが現れてる。
 円盤を呼ぼうと集まった天文台。星に願いを掛けた瞬間、体を持っていかれるほどの強風が吹き、汐音の帽子が飛ばされた。
 ――この帽子が、これが最後の最後の伏線です。ここまで徹底的に逆算された物語はまさしくメソッドですよね。
 天文台の先に、一面に見渡せるひまわり畑。
 その花弁が風に舞い、5人を誘う。
 そしてそのひまわり畑に足を踏み入れると、落ちているのは、あの時風に飛ばされた汐音の帽子。その先には――
 
 ここで、「星屑のインターリュード」の新規映像EDが流れる。
 ずっと友達でいたいという願いを制作陣なりに消化した答えが、あの映像に詰まっている。5人で遊び、手を繋ぐ。僕はこの時、柚季の「喧嘩してもすぐに仲直りできますように」という願いがしっくり来るなあと思いました。
 現代、誰もが奥底に持っている恨みやら歪やら。でも大抵の人が、どこかで愛情をもらっている。もらえなかった人もいるかもしれない。でも、そんな人に、願いと救いの「メソッド」を与えて。それでも、自分を救うのは自分だ、と投げかけてくるアニメだった。
 
 ED映像が終わる。全員が驚いたように、そして乃々香がこう叫びます。
「おかえり、ノエル!」
「ただいま、乃々香っ!」
 
 ◆◆◆
 「Stargazer」は、フルバージョンの最初のフレーズもしびれるんですが、オープニングからぬるっと耳に入り込んでくるあのメロディーが、さすが札幌拠点のクリエイター集団・I've。ポップソングの妙を心得てますね。
 「星屑のインターリュード」は、切なげでも踊れて泣ける、まさしく、悲しい時こそニッコリ、と言った古宮花織の言葉にそっくりな曲調と、ノエルのように純真な「インスピレーション」と「イニシャライズ」が繰り返されていく、彼らの関係性を考えさせていく一曲、と私は捉えています。
 
 このアニメ自体の妙は中学三年生という、絶妙な年齢設定です。
 高校生だと妙に大人びていて、こんなに純粋に願いとか祈りを描き出せない。かと言ってもうすこし年代が低いと、その年代なりの軋轢を描き出さないと割に合わない。程よく幼くて、でも大人に手を伸ばそうとする中学三年生という時期が、実は一番物語には必要な中核だった。
 あと、この物語は、突き詰めればノエルと乃々香だけで成り立った世界のように見えて、実は4人、いやそれ以外にも多くのキャラがいてこそ成り立つなあと思った、必要であるべくして必要とされた巡り合いの数々には泣くほかない。
 例えば、乃々香のお父さん・修一さんは、そもそも花織さんと出会って、乃々香とも出会って。古宮修一ひとりとっても出会いは「星の数のほど」ある。
 これは僕達が失いかけていた、出会いと友情の物語だ。ふと思った時、この話に共通していた「ニッコリ」というワードが繋がった気がして、最終話の翌朝号泣した。
 
 さて、このアニメを見ながら、自らの青春――といってもまだ終わってすらいないのだが――を自己消化し、自己解決した。fhanaの2ndアルバムを聞きつつ、そして時間になれば「天体のメソッド」。
 fhanaは「星屑のインターリュード」にとどまらず書きおろし2曲、さらにコンセプトアルバムと、徹底的に作品の世界観に寄り添った。でも、今、作品の自己消化をし終えた今だからこそ、2ndアルバムを聞いて、天体のメソッドを見ていたあの一週間を酷く懐かしく思うし、結局は極私的な経験に戻ってくるって事を自らに認めさせたい。
 なぜって、物語が終わったらそれですべてが終わるわけじゃなく、日常が続いて、もしかしたら大きな決断があって、しかも湊太は留学も控えていることもあって、5人の日常は永久的に続くものではない。
 それでも、自分の日常は続いていく。生きていることに意味を与えるのは、続きを描くのは、自分自身だ。
 
 自分にしかわからない良さ、それがギフトだ、と2ndアルバムの最終曲「gift song」は語りかける。
 しかし僕は思う。
 汐音とノエルの会話。
「誰かと一緒なら、なんだっていうの?」
「ぽかぽかするー」
 誰かに良さを認めてもらう必要性ってなくて、良さを分け合える存在がいる、そんな友だちがいる、その上で自らに分かる良さがある。それが僕がこの作品から学んだことの一つだと。
 
 ◆◆◆
 てなわけで今日はそらメソとfhanaの考察らしきもどきもの。
 Charlotteも考察しようと思った時期が私にもありましたが、おとともが尊すぎて……何も言えねぇ!笑
 
ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)

 この文章は初代ブログに掲載したものです。これは論旨がはっきりしていたので(というか個人の好きが溢れまくっていたので)掲載します

Twitterと「苛烈な文章、誠実な文章」

 コメンテーター・ナビゲーターのショーン・マクアードル川上氏の経歴詐称疑惑で、彼が涙ながらに謝罪してから2日ほど経過した。

 彼の仕事ぶりはメディア関係の周りの人々に好評だった。ちゃんとデータを揃え、論理立てをして発言をこなしていた。それは事実であり、彼もそこに至るまでの努力を怠らなかっただろう。それを持ってしても彼を擁護するつもりはないし、そんな資格が僕にあるわけではない(何様だ、って感じになっちゃうからね)。その代わりに、批判もしない。
 そんな今回の一件でとてもとても気になったのが、このように誠実な発言をする人は確かに支持されるが、それ以上に(米大統領選候補のトランプ氏もそうだが)「白黒付けたがり、物事をはっきりいう人」の発言はより支持されるということだ。

 後者の場合、シチュエーションによりその真価が発揮される時がある。一つはリーダーシップ。もう一つはバラエティやトーク、討論などの会話場面だ。人と関わり合い本気でぶつけあうときは、煩わしい注釈など要らない。また、物事を先頭に立って考え指揮するときは、多少強引でも白黒つけないと前には進めない。こういう時、苛烈でも方向性を持っている人は、曲がりなりにも(たとえ方向性が間違っていたとしても)自分の真を曲げないくらいの精神力は持っていると思う。
 さらに、そういった人たちは得てしてトークが上手い。好きなモノは好きというし、嫌いなものは嫌いというこの誠実さを構えて人に向き合うわけで、そこを判断するためには自然と観察していないと話せない。つまり、辛口の人は結構観察眼が強いのである。辛口で知られる(僕はそんなことないと思うけど)マツコ・デラックスさんや有吉弘行さんなんかは、観察眼と根性で生き残ってきた人たちだろう。無論、そういった人たちは精神力も強い。

 しかし、そんな人達が何かを受動的に受け止めるとなると、話は別になる。観察眼が鋭いはずだが、物事の主張を軸とするときに、言い切りたいという気持ちが勝つこともあり、大まかに主張をぼかしてしまいがちである。
 そういった行為は、主張よりも証拠を重視する考えの揚げ足取りの格好の餌食になるわけで、確実に反論も増えることになるだろう(たとえ主張に正しい部分があったとしても、だ)。さらに、証拠が揃っていないわけだから、それを見た視聴者・読者に不信感やわかりにくさを与えるものだと、元来なっていたはずだった。

 しかし、現実はそう伴っていない。一刀両断型の人の文章ばかりが「よくぞ言ってくれた!」と囃し立てられているのだ。
 僕はこの変化は、テキストベースのメディア、つまりSNSの普及によって生み出されたものだと感じる。さらに詳しく厳密に言えば、「Twitter」の登場によるものなんじゃないかと思う。
 私事で恐縮だが、私もTwitterのアカウントでじゃんじゃんつぶやいている。体感的に、あの140字という文字制限は、日本人にとって恐ろしい程に魅力的だったフィールドだった。主張を短くまとめ上げるが得意な人ほど、いや140字に近づければ近づけるほどインパクトと内容の濃さは勝る。だが、そのスペースに証拠までは書ききれないのだ。逆に言えば、証拠を示さずともまともなことを言っているように見えるし、言外に証拠を察せ、とも受け取ることが出来る。Twitterはそれほどまでに自由度が高いメディアだった、というわけだ。

 現在は、Twitterでも昔のホームページと変わらない炎上が起きている一方で、情報の拡散も進む。情報の流れを止めることは、現実には不可能だ。その中で、言い切ることがどれほどに危険か。
 
そういった観点から、今見直すべきは、誠実な文章ではないのかと本気で思っている。感情論を載せただけでは意味が無い。データの改竄など論外である。とことん事実に基づいた事実だけを積み上げていった成果を、決して攻撃的でない言葉で少しずつ語りかけていくのが僕の目標であり、目指したいところである。
 
 この話は、辰濃 和男著「文章の書き方」(岩波新書)に記されている話を参考にした。

 

ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)

 この文章は初代ブログに掲載された文章です。当時の人物の表記などそのまま掲載しております。

 言い切りの危険性はもちろんあるものの、アカデミックな世界では言い切らねば論説にならないという点を考慮できていないところに関しては考えが甘かったなあと振り返る次第です。

先輩が卒業した

 3月になった。暦は春を呼び寄せろと言わんばかりに迫るが、天候は2月の寒々しい青空のままだ。指定の制服にはベストなるものがあり、普段着用する生徒も多いが、今朝ばかりはフォーマルな背格好をと、教師が数日前からその日はベストは着こまずにワイシャツの下に着こめと口うるさく言ったおかげで、着用する生徒は一人もいない。ちなみに、僕も着ていない。
 フォーマルな背格好、というセンテンスからも見えるように、今日は卒業式。先輩たちとの別れを惜しみ、後輩たちが先輩たちの、また先輩たちが後輩たちの、そして同輩としての先輩たちが互いに背中を押す大切な儀式である。
 僕は放送部に所属しているが、今日はどんな行事よりも、いつよりも気合いが入っていた。基本的な仕事は体育館のバスケットゴール裏で音量確認をする仕事である。トランシーバーで体育館脇の放送設備に待機する先輩に音量の上げ下げなどを伝える、地味そうに見えてかなり重要な仕事である。それを「今後の経験だから」といって1年生である僕に任せていただいた先輩にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。いろいろお世話になりました。
 式自体は(音響設備的な問題でいろいろ音が出なくなったりもしたが)きわめて冷静に対処しつつ、しかし声をつまらせ答辞を読む元生徒会長や、生徒の名前を涙声で呼ぶ教師の心に感動しながら進み、最終的には何事もなく終了した。

 卒業式の準備自体が、テスト期間と被ったせいもありそこまでノスタルジックには浸れなかったが、いまとなってはそれで良かったのではないかな、と思っている。後輩に暗い顔して送られるよりはまだましだ。
 でも、そんなこと言ったって、別れは辛い。
 自分は、先輩たちには顔向け出来ないし、別れの挨拶を言う度胸もないな、と思っていた。理由とはいったが、なんということはない、未だに仕事も覚えきれておらず、新入生も結局は勧誘できず、結局は自分が不安でしょうがなくて、自己嫌悪に陥っていただけだ。だが、今年に入ってからはよりその疑念が深まってしまった。それによる放送機器の損壊などもあり、ミスを重ねてしまった。胃腸炎で一時欠席を重ねたのもその時期だった。
 その中で動き出した卒業式の準備が、今まで体験したことのないはずの行事だったがうまく言ったことは、現在進行形でとても自信になっている。そして今日の出来事と、これから話す先輩たちの話を聞いたことは、不安の殻から僕を飛び立たせてくれたきっかけでもあった。

 先輩たちを送る会は、昼ごはんを食べる休憩を1時間程度挟んで執り行われることになった。大層なものでもなく、ささやかなプレゼント贈呈と色紙プレゼントが終わると、あとは思い思いに先輩たちとの最後の時間を過ごす。ちなみに、意外にも部室はこの時、無法地帯になる。袋を開けたポップコーンが置いてあったり、ドーナツの抜け殻(先輩、ゴチです)があったり。僕は先輩たちとポーカーと人狼を楽しんだ。趣味が合うのもいいことだ。
 時間はすぐに過ぎていく。こういう時に、アインシュタイン相対性理論をふと思い浮かべる。人によって時間の流れ方は違うとか言うあれだ。先輩たちの卒業アルバムを見せてもらった頃、時刻はすでに午後四時を回っていた。
 元部長は、そしてその時、僕達に、いやこの時は僕自身に、未来に向けてかそれとも自分たちの過去に向けてか、ある話をし始めた。

 元来、放送部というのは人数変動が激しい。元部長も、一年生の頃、部員集めに苦労していた。その話を聞いたのはだいぶ前だった気がするが――僕にとっては自身が体験したようなデジャブに襲われる、いや僕自身が体験してきたことと重なる。それでも、その人は「誰でも良いから入ってくれ」と声をかけることをやめなかった。
 季節は夏になり、水泳の授業が始まった頃。プールサイドで先輩はある生徒に話しかけた。それからは入部してくれないかと語りかける日々。それが、先輩と同級生の新入部員の確保につながった。もう一人の部員も集まり、放送部は少しずつ動き出す。部長は、その同輩たちと部活でかけがえのない日々を過ごしていくに連れて、「誰でも良いから入部してくれ」という気持ちから「こいつらとじゃなきゃダメだった」という気持ちに変わったという。
 僕はそんな仲間を作ることが出来なくて、センチメンタルに浸っていた。「こいつらとじゃなきゃダメだった」なんて執念深いセリフを言える人間じゃない。それでも、部のために入部希望者を募っても入部させることが出来なかったことに少なからず負い目を感じていた。
 だからこそ、先輩の言葉に救われた。
「君はこれから頑張ればいけるから。昔の私を見てるみたいで怖いんだよね。でも頑張ればその時はその時でどうにか乗りきれる」
 無責任なセリフに思われるかもしれないが、それでこそやわらかな雰囲気と冷静な決断力を持った部長の答えであり、エールであるならば。僕はその背中を目で追いながら、帰り際に言われた言葉をリフレインして、何度も納得していた。
 部長にどういう感情を抱いていたかは分からないが、今言えるのは、尊敬と感謝の念。明日からは、先輩のいない日常がまた始まる。先輩のためにと用意したCDの音楽を聞きながら、新入生の勧誘はどうしたものかなと考えながら。

 

ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)

 これは初代ブログに「卒業グラフィティ」として掲載した文章です。この文章から2年が過ぎてなおこの先輩たちを超えられなかったこと、そしてこの文章を書いた自分のことも少し見えなくなったことが心の内に残っています。