風見鶏はどこを向く?

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先輩が卒業した

 3月になった。暦は春を呼び寄せろと言わんばかりに迫るが、天候は2月の寒々しい青空のままだ。指定の制服にはベストなるものがあり、普段着用する生徒も多いが、今朝ばかりはフォーマルな背格好をと、教師が数日前からその日はベストは着こまずにワイシャツの下に着こめと口うるさく言ったおかげで、着用する生徒は一人もいない。ちなみに、僕も着ていない。
 フォーマルな背格好、というセンテンスからも見えるように、今日は卒業式。先輩たちとの別れを惜しみ、後輩たちが先輩たちの、また先輩たちが後輩たちの、そして同輩としての先輩たちが互いに背中を押す大切な儀式である。
 僕は放送部に所属しているが、今日はどんな行事よりも、いつよりも気合いが入っていた。基本的な仕事は体育館のバスケットゴール裏で音量確認をする仕事である。トランシーバーで体育館脇の放送設備に待機する先輩に音量の上げ下げなどを伝える、地味そうに見えてかなり重要な仕事である。それを「今後の経験だから」といって1年生である僕に任せていただいた先輩にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。いろいろお世話になりました。
 式自体は(音響設備的な問題でいろいろ音が出なくなったりもしたが)きわめて冷静に対処しつつ、しかし声をつまらせ答辞を読む元生徒会長や、生徒の名前を涙声で呼ぶ教師の心に感動しながら進み、最終的には何事もなく終了した。

 卒業式の準備自体が、テスト期間と被ったせいもありそこまでノスタルジックには浸れなかったが、いまとなってはそれで良かったのではないかな、と思っている。後輩に暗い顔して送られるよりはまだましだ。
 でも、そんなこと言ったって、別れは辛い。
 自分は、先輩たちには顔向け出来ないし、別れの挨拶を言う度胸もないな、と思っていた。理由とはいったが、なんということはない、未だに仕事も覚えきれておらず、新入生も結局は勧誘できず、結局は自分が不安でしょうがなくて、自己嫌悪に陥っていただけだ。だが、今年に入ってからはよりその疑念が深まってしまった。それによる放送機器の損壊などもあり、ミスを重ねてしまった。胃腸炎で一時欠席を重ねたのもその時期だった。
 その中で動き出した卒業式の準備が、今まで体験したことのないはずの行事だったがうまく言ったことは、現在進行形でとても自信になっている。そして今日の出来事と、これから話す先輩たちの話を聞いたことは、不安の殻から僕を飛び立たせてくれたきっかけでもあった。

 先輩たちを送る会は、昼ごはんを食べる休憩を1時間程度挟んで執り行われることになった。大層なものでもなく、ささやかなプレゼント贈呈と色紙プレゼントが終わると、あとは思い思いに先輩たちとの最後の時間を過ごす。ちなみに、意外にも部室はこの時、無法地帯になる。袋を開けたポップコーンが置いてあったり、ドーナツの抜け殻(先輩、ゴチです)があったり。僕は先輩たちとポーカーと人狼を楽しんだ。趣味が合うのもいいことだ。
 時間はすぐに過ぎていく。こういう時に、アインシュタイン相対性理論をふと思い浮かべる。人によって時間の流れ方は違うとか言うあれだ。先輩たちの卒業アルバムを見せてもらった頃、時刻はすでに午後四時を回っていた。
 元部長は、そしてその時、僕達に、いやこの時は僕自身に、未来に向けてかそれとも自分たちの過去に向けてか、ある話をし始めた。

 元来、放送部というのは人数変動が激しい。元部長も、一年生の頃、部員集めに苦労していた。その話を聞いたのはだいぶ前だった気がするが――僕にとっては自身が体験したようなデジャブに襲われる、いや僕自身が体験してきたことと重なる。それでも、その人は「誰でも良いから入ってくれ」と声をかけることをやめなかった。
 季節は夏になり、水泳の授業が始まった頃。プールサイドで先輩はある生徒に話しかけた。それからは入部してくれないかと語りかける日々。それが、先輩と同級生の新入部員の確保につながった。もう一人の部員も集まり、放送部は少しずつ動き出す。部長は、その同輩たちと部活でかけがえのない日々を過ごしていくに連れて、「誰でも良いから入部してくれ」という気持ちから「こいつらとじゃなきゃダメだった」という気持ちに変わったという。
 僕はそんな仲間を作ることが出来なくて、センチメンタルに浸っていた。「こいつらとじゃなきゃダメだった」なんて執念深いセリフを言える人間じゃない。それでも、部のために入部希望者を募っても入部させることが出来なかったことに少なからず負い目を感じていた。
 だからこそ、先輩の言葉に救われた。
「君はこれから頑張ればいけるから。昔の私を見てるみたいで怖いんだよね。でも頑張ればその時はその時でどうにか乗りきれる」
 無責任なセリフに思われるかもしれないが、それでこそやわらかな雰囲気と冷静な決断力を持った部長の答えであり、エールであるならば。僕はその背中を目で追いながら、帰り際に言われた言葉をリフレインして、何度も納得していた。
 部長にどういう感情を抱いていたかは分からないが、今言えるのは、尊敬と感謝の念。明日からは、先輩のいない日常がまた始まる。先輩のためにと用意したCDの音楽を聞きながら、新入生の勧誘はどうしたものかなと考えながら。

 

ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)

 これは初代ブログに「卒業グラフィティ」として掲載した文章です。この文章から2年が過ぎてなおこの先輩たちを超えられなかったこと、そしてこの文章を書いた自分のことも少し見えなくなったことが心の内に残っています。