風見鶏はどこを向く?

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『天体のメソッド』~願いを叶える場所へ

 ラストシーンからの逆算がうまく作られたアニメ、「天体のメソッド」。
 初めて見た時、そういった印象を受けました。
 

前置き① クリエイターたちの話

 ◆◆◆
 唐突ですが。今回は、テレビアニメ『天体のメソッド』について(というかfhanaの楽曲について)考察を重ねたいと思います。わりとストーリーの文脈が分かってないと辛いので、全話通観者(14話は筆者未視聴)のみで。さらに言えば、最後はfhanaのファンでないとなかなか理解しづらい話も入ってるので猛者だけでいいっす……
 一応前置きの前置きはこのあと、さらに次の前置きは「天体のメソッド」自体のイントロデュースで。
 
 今回の記事はアニメの重要な筋をネタバレしますので、ここで関係ない話題で一クッション置くことにしています。
 最近、fhanaを大好きなファンの皆様、「ふぁなみりー」の皆さんとTwitterでつながらせてもらってるんですが、結構fhana以外の好きなアーティストの話も伺うんですよね。
 で、fhanaってのがどういうグループか、というのと照らし合わせた時に、ファンの方々が好きなアーティストの中に結構傾向が見えるな、と。
 fhanaってかなりクリエイター気質で、男3人(佐藤純一、kevin mitsunaga、yuxuki waga)が全員作曲できたり、楽曲提供したりするんですよ。個人でも戦っていけるんですけど、「和」の力の凄さを知ってる。そういうユニットです。
 クリエイターとして足し算の発想と引き算の発想の両方を持ってるユニットって、実は結構珍しいタイプで、最近は人との関わりが多いアニソン業界に分布してるんです。Q-Mhzだったり、GARNiDELiAだったり、eyelisだったり。もっと広義だと、北海道を拠点に活動されているクリエイター集団・I'veもそうですね。
 それぞれ形は異なりますが、芯があるんです。メロディーや歌詞に。特にQ-Mhzは、アニソンの作詞業では「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラソンで有名な畑亜貴さんがいたり、fhanaだってグループ外ではありますが、元メカネロの林英樹さんがいたり。一線で戦った経験があるからこその、ハマるセンテンスセンスがあるんでしょうねえ。
 個人的には、Q-Mhzeyelisが来てます。特に後者のボーカル、男の方もいらっしゃると聞いた時の「別人では?」感凄かったけど、ちゃんと通して聞くと同じスタンスで、一つの筋を通して、でも個性を発揮されてて。色の付け方が違うんだなあとしみじみ思ったのでした。
 

前置き② 『天体のメソッド』との出会い

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 ツークッション目は、アニメ自体の説明です。アニメは知ってるよ、とか、放送局事情で名前だけはって言う奇特な方はここで止まると、アニメを見るときになったら楽しめると思うよ。
 「天体のメソッド」が放送されたのは2014年10月クール、TOKYO MXテレビ北海道サンテレビなど。
 で、その放送当時はまったくfhanaなんてのも知らなかったし、ましてアニメに触れる機会は皆無でした。むしろあの頃の自分は、アニメ文化を心のなかで軽くヘイトしてたくらいにとんがってましたぞ。
 深夜アニメ文化に触れたのは、P.A.WORKSが制作していた2015年夏クールの「Charlotte」がきっかけで、そこから「ハルチカ」とか「少女たちは荒野を目指す」とか、まあ学園モノが中心というか学園モノしか見てないんですよね。
 学園モノに憧れる背景はお察しください。なお現役の模様。
 さて、なぜ「天体のメソッド」に出会ったかというと。
 fhanaの佐藤純一さんのTwitterで、こんなことがRTされてたんですね。
天体のメソッド、AbemaTVで配信!」
 (AbemaTVってのは、テレビ朝日Amebaが共同でやってるネット放送局です。同時視聴の場合無料で、タイムシフトは有料です)
 これには驚きました。そもそもめっちゃ気になってたアニメで、「星屑のインターリュード」が主題歌だということも知ってましたが、どのように使われるかまでは想定していませんでした。でも、このアニメの本質までを読み解こうとは、この時は露程に思ってなかったですね……。キャラデザがガールフレンド(仮)の人なのかあ……見るの大変そうだなあ、とさえ思ってました。
 何はともあれ、第一話の配信をまず見ました。
 

忙しい人のため…と見せかけて実はめちゃくちゃ深読みした考察

 ◆◆◆
 (ネタバレ!)
 というわけで「天体のメソッド」と「星屑のインターリュード」の考察です。
 第1話。
 不思議な、でも街の人からは特に敵視されてもいない円盤のある街。引っ越しのシーンからスタートし、序盤からひょっこりノエルが登場し、んでってノエルが思い出の写真を壊してしまい、乃々香の怒りを買って追い出され。追い出されたノエルに謝ろうと、町中を駆け回っても見つからなくて。訪れた天文台で、ノエルを見つけて。
 第1話から急展開だなあと思っていたら、今冷静にまとめたらこれだけの文章です(修一さんはどこへ行ったんやw)。でも、そこまでに至る感情のゆらぎが、ラストから逆算されて絶妙にブレンドされてるんですよね。ノエルを探してる時に出会った「しいはら商店」のこはるがそれを如実に表してますね。メインキャラではノエル以外でたぶん一番最初にまともに話してるはずなんですが、ラストまで一番ぶれずに、友達であることを大切に、誇りに思うこはるの性格が、まったく感情の盛り上がりを期待できないシーンですら見えてくるんです。
 第1話のラストのセリフで、ノエルが、
「あなたの願いを叶える場所へ!」
って乃々香に話しかけるんです。ここから、乃々香たちの周辺の友人関係の、乃々香が引っ越してから7年間止まっていた時間が動き出す契機だったんです。
 で、このシーンで、「星屑のインターリュード」。
 でも、序盤も序盤。ここで真意を汲み取ることは当然出来ませんでした。
 
 第2話では、学校シーン、さらには霧弥湖町の空に浮かぶ円盤を追いだそうとするメインキャラの一人、水坂柚季が登場します。円盤反対を訴える柚季は乃々香、さらにノエルも巻き込んだりしていきます。
 ノエルが「円盤さん、嫌い?」と聞いた時に乃々香は「友達のために何かしてあげたい」と言ったその横顔から、やっぱり友達思いなんだけど、それゆえに不器用なんです。
 で、このシーンもまたラストから逆算されてるなあ、って見えてきます。
 第3話では、メインキャラ・戸川汐音が初めて乃々香とまともに話します。でも乃々香は彼女を徹底的に無視していた汐音に、「今度名前を呼んだらビンタする」と言われ、なんと有言実行されます。
 いやあ、このシーンは本当にびっくりしましたね。ビンタのシーンを克明に描いたアニメって、あんまりないよね……パンチは多いのになんでだろうね。
 第3話ラストシーンから第4話では、校外オリエンテーションによって昔の、友達との楽しくも苦い思い出のかけらが乃々香に思い出されます。そして、そこには、知らなかったはずの思い出、円盤を呼んだ記憶、そしてそこにはノエルもいた。
 ノエルは、純真だから、乃々香にとっては無意識的に残酷だよなあ。しかも、迷子になった彼女たちを探しに来てくれたはずの友人たちも微妙な表情、柚季は乃々香をビンタし、汐音に至っては、「忘れてたと言ったら、許してもらえるとでも思ったの?」。
 でも、これってある意味では当然なんです。誰も悪くないけど、当然で。
 誰だって、大切な友達だった人が突然いなくなって、ひょっこり戻ってきて誰も覚えてなくて、でもその友情の証は持っていて、っていう状況に置かれたら、切なくなるんですよね。
 第5話では、そんな柚季と乃々香の後悔と心のササクレが瓦解していくまでを丁寧に描いてます。
 柚季は、「しいはら商店」の前の道路で、あろうことか公道の真ん中で「円盤反対!!」と声をあらあげます。こはるはそれを、あえて冷たく無機質で他人行儀で、でも友のために強く遮ります。それでも柚季は、今まで支えてくれていたこはるがそういうことをいうのか、と酷く落ち込み、分かり合えないと感じたのです。
 柚季の行動の裏には、やはり乃々香たちとの、円盤を呼んだ日の思い出がありました。思い出を忘れていた乃々香に対して。
 しかし、もう一つ、円盤を恨んでいた、というより、円盤がなかった頃の思い出も関係していました。
 それは花火の思い出。兄の湊太と迷子になった祭の思い出。結局、探しまわって、花火を見て、焦って。そして、その帰りに兄は怪我をして。
 そのことを思い出し花火を上げると宣言した乃々香は凄かった。
 こはると頑張って準備してる中でも、個人的に粋だなあと思ったのは、花火が打ち上げられた最後の祭りのポスターを掲示板に貼ったことですな。見てくれる確信がない中で、柚季がそのポスターを見た時はほんとすっげえなこいつら、って思いますわな。
 そっからの展開は、そこまでの文脈を把握していないと、感動は減ってしまう。ある人のブログに、この話でだいぶ視聴者はより分けられたのか、とも書いてありましたが、私も同感ですね。
 結局、花火は打ち上がりませんでした。
 しかし、ここのラストでノエルが円盤に花火を投影してみせたのです。
 これには僕も「すげえな……ノエルイケメンかよ」の感想しか出ませんでした。実際、リアルタイムでツイートが残っていますw。
 
 ちなみにここまでで「ノエルは乃々香が東京にいた7年間、ずっと天文台で待っていた」という事実が判明します。やばいぞおい。なんてええ子や。
 
 第6話、第7話はやわらかな日常回に見せた伏線と心情描写のオンパレード。第6話は温泉回に気を取られている視聴者は少なかったですね。すげえや。
 柚季が乃々香に、おもいっきりビンタして、と言ったそのシーンで、彼女はビンタせず、それでも友達として分かり合うことを改めて伝えました。登場人物の心情のゆらぎが、しっかりと描写されていました。
 あと、たぶん湊太が店番してたシーンから「不憫キャラ」の完成に至ったんだろうなあ。こりゃあミンチよりひでえや(褒め言葉)。
 第7回は、いきなり出発のシーンなんですが、やんわりとここでも伏線を張る脚本半端じゃない。
 「ノエルは、円盤が見えないところに行くと大変なことになるの」
 そして、電車で揺られて、たどり着いたのは、乃々香の母、花織の墓。母の言葉を思い出し、少し泣くも、友達が支えてくれる。少しずつ積み上げていったストーリー。
 その頃、ノエルと湊太は、ノエルが遊び相手にしていた”キリゴン”の立て看板を怪我させてしまい、治そうとしたら更に重症になってしまった……一見微笑ましいシーンですし、実際微笑ましいです。ええ。
 でも、これは友情のメタファーです。これは、こはるたちが作り上げた看板です。それが壊れるということにメタファーの真意があるのではなく、「壊れてしまったら治す」ということに真意はあります。ある意味、ここも伏線なのかな?
 第7話のエンディングでは汐音のいないベンチで、ノエルからある伝言を伝え聞きます。最後に雪が振り、fhana「ホシノカケラ」が特別エンディングとして流れます。儚くも切ない、この場面を切り取ってメロディーにしたかのような、そんな曲。
 
 第8話も日常話風味があるものの、ストーリーの転換点です。
 前回最後に伝えられた伝言をもとに、考えた乃々香は、文化祭の企画としてプラネタリウムを作ろうと、汐音を巻き込んで買い出しに行き、そして失敗(火事寸前で失敗って……w)を繰り返しながらも準備が進みます。
 余談なんですが、アニメで描かれてる高校の文化祭ってなんであんな大規模なんですかね。「氷菓」のカンヤ祭は規格外としても、この「北美祭」もなかなか大きいスケールですよこれ。それとも、うちの高校がちっこいんか?
 ……本筋に話を戻します。
 汐音は、乃々香と、夜のプラネタリウムで、言葉をぶつけあい、信じ合います。
「戸川汐音っていいます。私と、友だちになってください」
 このシーンは、汐音が初めて母に連れられて、人見知りながら乃々香に話しかけ、友だちになった日の再現をしているシーンでもあります。思い出だけが全てではありませんが、思い出がすべてを作っていると言っても過言ではありません。だからこそ、思い出を取り戻した二人にしかわからない世界ってのもありますよね。
 
 第9話は、そうやって友として誓い合った乃々香と汐音にも関わらず、汐音が、
「あなたとはもう一緒にいられない。さよなら」
 と言い残して、去っていってしまいます。そしてこれが、そしてこの発言に至らせた理由が、ある意味「物語」の終末に向けての大きなキーポイントの場所になります。
 一方で、初めて作中でノエルが「円盤の見えない場所」に行き、そして乃々香とおしるこを楽しむ姿が、この後の話との対比もあって結構輝かしく見えます。
 しかし、この話のラストシーンで、乃々香にとって結構ショックな事が起こります。
 汐音には、改めて否定され、ノエルは「円盤の見えない場所」に無理をして行ったことが祟り倒れてしまいます。
 この、ノエルが「北美祭に行けることになったよ」と言った背景には、乃々香たちが確かに願った「みんなとにっこりでいたい」という願いが北美祭で叶うと思い、それなら自分の体は関係ないだろう、と思ったノエルの願いに恐ろしく願いに純粋なまでの心があるのではないでしょうか。
 その想いに応えられなかった乃々香も、たぶん後に後悔してるかもしれないなあ……。
 第10話では、そうして倒れたノエルを乃々香が、「円盤の見える場所」、つまり乃々香の家に連れて帰ります。もうこの時期まで来ると汐音以外の3人はだいたい察して早く行ってやってやれ、と考えてますね……。
 ノエルが目を覚ました時の仕草はここから始まっていくパートの中では異色の茶目っ気のあるものですね。
 お見舞いに来たこはる、柚季、湊太に対してノエルが円盤だと告げた乃々香。もちろん、ちゃんと頷いて、受け止めてます。
 一方で、汐音に「願いがかなったらノエルは消える」というカミングアウトもされたその3人。こちらには、戸惑いを隠せません。
 そして、自分が犠牲になることで、ノエルが消えずにすむと思った4人は、自己犠牲を繰り返します。他の3人に比べて長い時間私がいなければノエルは消えなくていい、と思い続けてきた汐音と比べると、他の3人はノエルとの思い出、そして円盤であることをつい最近知った事もあって、選択は同じでも、思いやるほどに心が痛む。そんなシーンです。個人的には、ここの掘り下げがもっと欲しかったなあ。
 第11話は、ノエルに消えてほしくなくて、そんな4人は今まで以上に乃々香を避けるようになります。
 学校のシーンで、乃々香が柚季に叫んだシーンは、第4話辺りで湊太が柚季に叫んだシーンとダブって見えてきます。気持ちを伝えるその場所で、やっぱりストーリーが動くのだなと思いますね。ちゃんと学校を無碍にしてない。学校もストーリーの重要な一要素であることを認めてるなあ、とわかります。
「今夜、天文台に集まろう。皆で一緒に流星群を見るの」
 乃々香がこはるにそう話しかけ、そしてこはるは賛成してくれました。
 それから、汐音と思いを語り合います。ここの汐音は、思いを語るというより、ぶつけてきてるという方が正しいかもしれない。
「どうして放っておいてくれないの!友達でしょう!」
 そうです。彼女らは、友達です。でもそれ以上に、ノエルも大切な仲間の一人でした。だから失いたくなくて、それなら私が抜けたら……と思いつめてた汐音の心中を初めて乃々香にぶつけました。
 汐音は、我慢しちゃう子だ。乃々香がそう伝えた時の涙。
 「流星群を見たかった」と汐音が伝言した時のノエル、もしくはプラネタリウムで一度は仲を直したふたりを思い出したのは僕だけじゃないと思いたい。
 同じように、自己犠牲もあって離せなくなっていた水坂兄妹も、互いに円盤に願った願いが同じであったことをしっかりと思い出して語り合いました。
 柚季も相当な意地っ張りで、湊太がえらく大人のように優しく、んでって意地も張らず正直に思いを話したからやっと話すことが出来た。あの兄妹は、多分どっちも過去よりも前だけ見ようと思ったら見ることが出来る二人だけど、そのために自分の心を封じ込めちゃったのかも。
 彼らは、「ノエルの願いを叶える」と決めました、
 彼らの願いはすべて「みんなと仲良くなれる。喧嘩してもすぐに仲直りできる」ことでした。
 そして、星の夜、天文台に向かう乃々香と汐音。彼女らを見つけたノエルが、「迷子さん?」と話しかけると、汐音は「そうかもね」と。
 友情の中で、失うもの、願いの中で、叶えたい、でも叶えるべきか迷う、その感情の環状の迷子さんになった、ということなんだろうと思います。ここもある意味ではメタファーですが、どちらかといえば直喩。
「消えちゃうのに、どうしてそんな顔しているの? 乃々香と会えなくなるのに、悲しくないの、寂しくないの?」
と汐音がノエルに問いかけると、
「ノエルは皆が嬉しいとポカポカ、悲しいとチクチク感じる」
と。ノエルは悲しみが欠如しているわけじゃなく、別離の悲しみが欠如してるんだと、そう思っていた時期が私にもありました。
 
 天文台での5人はもはや昔のように。乃々香が昔のように汐音を紹介するそのシーン、涙が溢れて、僕は前を必死に向こうとしました。
 汐音が、みんなの写真をしっかりと撮って、残そうとしています。
「ちょっと動かないでよぉ……うまく撮れないじゃない」
 めっちゃ泣いてる柚季がそんなセリフを汐音とノエルに言ってるんですよね……。ギャン泣きですよ。皆が思い思いにシャッターを切り、それぞれの思いにふけっています。
 空を見て、ノエルが、帰らないと、と言いました。
 皆と話すノエルを見て、乃々香が、泣きながらこう言います。
「にっこりしないと駄目なのに…」
 乃々香の母・花織は、たしかに、「辛い時こそ笑顔で」と教えました。しかし、泣くことは教えませんでした。いや、教えなかったというより、教えられなかったのだと思います。きっと、懸命に伝えようとして、歯抜けの状態で乃々香に伝わってしまったのだとしたらかなりの悲劇ですよ……当然、誰も責めようとは思いませんが。
 流星群の夜。
 みんながニッコリする様子を見て、ノエルは、安心しきったように、しかし、僕達には驚きの表情を見せました。
 泣いたのです。あんなに、別れる前までは、別離の悲しみの感情なんて無いと思っていたノエルがです。
 ノエルもまた、願いの中にいました。悲しくて、でもその感情がわからなかったノエルは乃々香の元に走りだし、手を伸ばしましたが……
 その手は、届くことがありませんでした。
 この第11話は特別エンディング「天体のメソッド」が流れました。
星に願いを込めて 思いを解き放つ時 あぁいつか夢見たあの日へ帰れる気がするよ 
古の扉を開けることが出来たなら 私たちは手をつなげる そう信じていたいよ だから私ここにいる みんなの願いの中
 ノエルにとっては、「夢見たあの日」でした。それなのに涙が溢れて止まらなかったのは、僕は心の底から悲しく思ったし、消えた後はどうなってしまうのだろう、と考えました。
 この「天体のメソッド」の歌詞が、一番ストレートに世界観や願いについて歌ってますよね。他の曲は若干回りくどくメッセージを練ってある曲が多いので。
 
 第12話が始まった瞬間、僕は目を疑いました。
 なぜなら、流星群の夜にいたはずの乃々香が、引っ越しの当日にタイムスリップしていて、しかも彼女の知っている霧弥湖の姿――円盤があって、ノエルがいて、円盤まんじゅうが売っていて――はそこにはなかったのですから。
 その場所には、ノエルはいませんでした。
 この時、ノエルが消えてしまう、という言葉の真の意味と、「ノエルはいない」と如実に裏付けられるその悲しみを味わいました。
 存在していないことを否定するのは簡単ではありませんが、肯定するのはもっと難しいことです。心の空白は、その人でなければ、あるいはこの時はノエルでなければ、埋めることが出来ないのですから。
 今回、乃々香が味わった孤独はそれだけではありませんでした。ニッコリでいたいと思う友達が、誰一人ノエルのこと、流星群の夜のこと、それまでに至る事を知りませんでした。いえ、汐音は東京に引っ越していました。
 「汐音は?」と聞いて、「引っ越した」と答えが帰ってくるまでに、やはり乃々香の顔は曇っていました。
 誰もノエルのことを知らない世界。自分がノエルのことを忘れてしまえば、思い出す人はいなくなると考えたことは、天文台の側でノエルについて知っていることを鮮明に思い出しながら語っていきます。
 このとき、天文台は「円盤の街だった世界」より荒れ果てているように見えました。機械も壊れてましたし。そしてそれが、ノエルのいない世界、友達とにっこりする願いを叶えられていない世界の象徴だったのだと思うと、納得がいきます。
 乃々香が、このままでいいわけない、と。ノエルに会いたい、と必死に願ったその後ろには。
 白いワンピースと麦わら帽子のスタイルで立つ汐音がいました。
 「久しぶりね」
 「7年ぶりだね。あの頃は……」
 「私が覚えているのは、流星群の夜」
 思わず涙ぐむ乃々香に、汐音は、「あの子が大好きだったのは、そんな表情じゃないでしょ」と優しく語りかけます。
 汐音も汐音なりに、自分しか持っていないはずの記憶を考えてきたのだと思います。どうやって気づいたのかは描写がありませんが、あの時汐音が来なければ物語は世界線が変わっていたのだろうな、と思いました。
 
 第13話。
 ノエルについては、他の3人も、記憶にはないのに離れない知らない女の子の思い出として刻まれていました。
 この話で一番印象が変わったのは、湊太ですね。ストレートに感情を出すことが多くなったというか、冷静さはそのままなんだけど、背伸びしてるようには見えない。
 柚季についても、「円盤歓迎」の看板を作るなど、ある程度は記憶あるのかもしれない。茶目っ気あってこの時のシーンは思わず笑ったけどもちろん涙目。
 こはるはもはや作品通して変わってない感じがあるんだけど、それはいい意味であって、友達でありたいという筋の強さが現れてる。
 円盤を呼ぼうと集まった天文台。星に願いを掛けた瞬間、体を持っていかれるほどの強風が吹き、汐音の帽子が飛ばされた。
 ――この帽子が、これが最後の最後の伏線です。ここまで徹底的に逆算された物語はまさしくメソッドですよね。
 天文台の先に、一面に見渡せるひまわり畑。
 その花弁が風に舞い、5人を誘う。
 そしてそのひまわり畑に足を踏み入れると、落ちているのは、あの時風に飛ばされた汐音の帽子。その先には――
 
 ここで、「星屑のインターリュード」の新規映像EDが流れる。
 ずっと友達でいたいという願いを制作陣なりに消化した答えが、あの映像に詰まっている。5人で遊び、手を繋ぐ。僕はこの時、柚季の「喧嘩してもすぐに仲直りできますように」という願いがしっくり来るなあと思いました。
 現代、誰もが奥底に持っている恨みやら歪やら。でも大抵の人が、どこかで愛情をもらっている。もらえなかった人もいるかもしれない。でも、そんな人に、願いと救いの「メソッド」を与えて。それでも、自分を救うのは自分だ、と投げかけてくるアニメだった。
 
 ED映像が終わる。全員が驚いたように、そして乃々香がこう叫びます。
「おかえり、ノエル!」
「ただいま、乃々香っ!」
 
 ◆◆◆
 「Stargazer」は、フルバージョンの最初のフレーズもしびれるんですが、オープニングからぬるっと耳に入り込んでくるあのメロディーが、さすが札幌拠点のクリエイター集団・I've。ポップソングの妙を心得てますね。
 「星屑のインターリュード」は、切なげでも踊れて泣ける、まさしく、悲しい時こそニッコリ、と言った古宮花織の言葉にそっくりな曲調と、ノエルのように純真な「インスピレーション」と「イニシャライズ」が繰り返されていく、彼らの関係性を考えさせていく一曲、と私は捉えています。
 
 このアニメ自体の妙は中学三年生という、絶妙な年齢設定です。
 高校生だと妙に大人びていて、こんなに純粋に願いとか祈りを描き出せない。かと言ってもうすこし年代が低いと、その年代なりの軋轢を描き出さないと割に合わない。程よく幼くて、でも大人に手を伸ばそうとする中学三年生という時期が、実は一番物語には必要な中核だった。
 あと、この物語は、突き詰めればノエルと乃々香だけで成り立った世界のように見えて、実は4人、いやそれ以外にも多くのキャラがいてこそ成り立つなあと思った、必要であるべくして必要とされた巡り合いの数々には泣くほかない。
 例えば、乃々香のお父さん・修一さんは、そもそも花織さんと出会って、乃々香とも出会って。古宮修一ひとりとっても出会いは「星の数のほど」ある。
 これは僕達が失いかけていた、出会いと友情の物語だ。ふと思った時、この話に共通していた「ニッコリ」というワードが繋がった気がして、最終話の翌朝号泣した。
 
 さて、このアニメを見ながら、自らの青春――といってもまだ終わってすらいないのだが――を自己消化し、自己解決した。fhanaの2ndアルバムを聞きつつ、そして時間になれば「天体のメソッド」。
 fhanaは「星屑のインターリュード」にとどまらず書きおろし2曲、さらにコンセプトアルバムと、徹底的に作品の世界観に寄り添った。でも、今、作品の自己消化をし終えた今だからこそ、2ndアルバムを聞いて、天体のメソッドを見ていたあの一週間を酷く懐かしく思うし、結局は極私的な経験に戻ってくるって事を自らに認めさせたい。
 なぜって、物語が終わったらそれですべてが終わるわけじゃなく、日常が続いて、もしかしたら大きな決断があって、しかも湊太は留学も控えていることもあって、5人の日常は永久的に続くものではない。
 それでも、自分の日常は続いていく。生きていることに意味を与えるのは、続きを描くのは、自分自身だ。
 
 自分にしかわからない良さ、それがギフトだ、と2ndアルバムの最終曲「gift song」は語りかける。
 しかし僕は思う。
 汐音とノエルの会話。
「誰かと一緒なら、なんだっていうの?」
「ぽかぽかするー」
 誰かに良さを認めてもらう必要性ってなくて、良さを分け合える存在がいる、そんな友だちがいる、その上で自らに分かる良さがある。それが僕がこの作品から学んだことの一つだと。
 
 ◆◆◆
 てなわけで今日はそらメソとfhanaの考察らしきもどきもの。
 Charlotteも考察しようと思った時期が私にもありましたが、おとともが尊すぎて……何も言えねぇ!笑
 
ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)

 この文章は初代ブログに掲載したものです。これは論旨がはっきりしていたので(というか個人の好きが溢れまくっていたので)掲載します