風見鶏はどこを向く?

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尾道~二度目の旅は慢心に塗れる

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 “海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい”
 林芙美子Wikipedia を見ると、波乱万丈な人生を正確かつスピード感ある筆致で収めている。それも Wikipedia の各編集者がいう過大性につながっていないのもいい。
 とは言うものの、僕は林芙美子の文学作品を一切読んだことがない。尾道ゆかりの人物で言うなら、大林宣彦の俗に尾道三部作とよばれる映画作品も見たことがないし、志賀直哉の「暗夜行路」も名前しか聞いたことがない。
 それくらいの基礎知識もない僕でも、尾道の街は一度目に映ると衝撃的な残像となって頭に残る。海を見るとそれは島と陸を近くに隔て、山を見ると寺社仏閣と住宅が互いに並び立つ坂道の壮観。
 そんな「ノスタルジックさ」の先にある本当の街の姿ってなんだろう?と思うのだ。
 
 昨年の夏に尾道に行き、今年も行きたいとなんとかお金と時間の都合をつけて無理やり日帰り旅行を構成した。お金の都合、と書いたがさすがに在来線をうまく使って電車代は安く抑えた。
 岡山からの在来線で対面に乗ったサラリーマンの覇気のなさや、岡山の高校生の電車率、着く前に対面に乗ったしんぶん赤旗を読んでいるおっちゃんが鼻をほじっている姿にとにかく突っ込みを入れながら、近づく街の姿をとらえていく。そびえ立つクレーンは自由の女神尾道水道を目の前にたたえ山々をゆっくりと見る。電車から見ても間違いなく突き抜ける青。
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 尾道駅の有名な駅舎は、今は工事に入って見ることは出来ない。まだ朝だと言うのに、観光客がかなり歩いているし、外国人客も多い。
 商店街方向に歩くと、先の林芙美子の一文の像がある。ちなみに商店街といってもまだ本通りではないので、向かいに見えるのは山である。海側に作ればよかったのに。
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_DSC0015.JPG 本通りに入ってすぐの階段は、尾道の特徴の一つの寺社仏閣めぐりのための白い階段だ。小学生と見える子どもたちが、無邪気にそれを登っていく。
 尾道の魅力は海と山のコントラストと見る向きも多いが、電車と隣接する道路、さらに隣に山と商店街なんてのは、なかなか他では見られるものではない。
 本当は千光寺に行くためにロープウェイに乗るつもりだったが、どこから登るかを間違えてしまったために、全ての寺院を回ることになった。それはそれでよかったのだが、まさかそれが、この旅を「修行」と呼ぶ所以かつ序章になるとは思っていなかった。
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 長い坂道、路地のような細い道、すれ違う地元の方、猫が微笑む。隙間から見た「売物件」の文字には、この街の現実を感じずにはいられなかったが。
 上り終わったその先でオレンジジュースを買うが、「お寺に飲み物を入れるのもどうか」と思ってベンチに置く。雲一つない青に尾道水道と島はやはり映える。
 おん ばざら たらま きりく――大悲心陀羅尼――と唱えるといいですよと受付のおばさんはおっしゃったが、特に観光客は唱えている様子ではなかった。これでも信心深いほうなので、律儀に唱えてきた。ここの効能は厄除けらしいが、行った翌日、高校野球の応援チームがふたつも負けた。
 そういえば、千光寺山頂は恋人たちの聖地らしく、彼らもそれを自認してアピールしてくるが、ひとりの僕は「うるせえ」と視線で跳ね返す。
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 下りのロープウェイは予想以上にガラガラだったが、すれ違う上りはやはり苦を避けようという客が詰め寄せ、満席だった。
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 千光寺の麓に降り立って、商店街を通り抜ける。癖の強い店から、まさしく純喫茶という店まで様々だが、中でもテレビで取り上げられた「カレー屋でもうどん屋でもない深夜食堂風の店」は各人足を止めていた。漫画があるらしい。お酒はしっかりあるらしいので、ジャンルは居酒屋だろうか。そんなことより、「あやとりあります&あげます」が気になる。別にあやとりもらっても使わない。
 商店街を後にし、変な意味で話題のレンタサイクルを借りる。ここは、一時「TSマークが貼られていない、ずさんな管理だ」と内部告発らしきことがSNS中を駆け巡った。果たしてそれは本当だったのだろうかと、一次ソースダイレクトアタックを仕掛ける。
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 ところで、この表記で伝わると思ったんだろうか。写真は日本語と英語のバージョン比較である。特に、地図が日本語のまま。
 もうさっさとしてくれと煽るようなおっちゃん(タイプ:しんせつ)の目を受けつつも、荷台のある車種を選んで渡船に向かう。やや車高が高かったのか、股間から尻に強烈な痛み。
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 向島に向かう渡船は大阪から来た中学生くらいの子たちの団体が固まっていた。リーダー格の子だろうか、「左に詰めて」と仲間たちをうまく誘導している。
 日差しが強い向島は、しばらく走り抜けると大きなスーパーがある。これから走破するつもりなんだし、何か飲みものを買っていこうと思い自転車を止めようとしたのだが……、番号式の鍵がかからない。
 これはおかしいなと数分格闘していると、今度は地元の方だろうか、一見厳しそうなおじさま(タイプ:しんせつ)が「借り換えたほうがええやろ」と、市役所の支所を紹介してくださった。結局借り換えることなく、スーパーでは2lのスポドリを買った。
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 自転車に乗っていると、それは自己格闘の時間なのではないかと思う。島の家々が立ち並ぶ場所を走り抜けている時は思わなかったが、海岸線を横に見るカーブに差し掛かった時、まるでここは生と死の境目にあるのではないかと。
 そんな雰囲気につられてしまって、ランニングハイはふいに途切れる。エネルギー不足で向島の端を前にして走破を断念し、しかも道中スポーツドリンクを一気に飲みすぎたせいでなんとも気持ち悪くなってきた。このあと、フォロワーさんからは飲み食いしないと倒れる、糖分と塩分を確保するべし、と有益な助言を頂いた。
 頭が回らない中で、無理矢理にも何か腹の中に収めなければならぬと商店街を歩く。もう尾道ラーメンなんて、夜に回しても入る気がしない。諦めた。それならば、先程ちらりと見た純喫茶で、一日中やっているモーニング(名古屋か!)を食べてしまおう。
 「喫茶メキシコ」は、尾道本通りの中間にあって、古風な純喫茶然とした店だ。常連さんの雰囲気もいい。一番手前側のテーブルに座って、モーニングを食す。そうすると、奥の扉が開いてお客さんが入ってきた。ここは二つ入口があるらしいが、これもなかなか、らしいって感じだ。
 なんとかお目当てのものをもう一つ食べたかったので、苦しみながらも「からさわ」のアイスモナカを食した。店内には、「ゴロリ」の原ゆたか氏、フジテレビアナウンサーの西山喜久恵氏などのサインが一面に貼られている。ここは10分で溶けるアイスが売りだが、35℃の炎天下ではそう持つものではない。一気に食ってしまう。
 甘さと冷たさで一時現実を忘れたが、十分としないうちに死にかける。しゃっくりが止まらなくなったのだ。
 尾道の人々に僕は変なふうに映ったのではないだろうか。しゃっくりが止まらず、耐えきれずに建物に入って、治ったと思ったらまたしゃっくり。最後には尾道駅前のトイレに一時間もこもって、吐き気を必死に抑えながら「もういいや、帰ろう」と思ったものだ。
 二度目の旅は慢心に塗れる、と僕は思っている。岡山でも、自分の体力を一度だけで見切ってしまい、無謀な旅行をしてしまった。ひとり旅は、失敗しても成功しても責任は自分にある。そんなことを考えながら、帰りの新幹線は隣の方に心配されながら(エチケット袋を念のためにもっておいたのは、助かった)命からがら帰ってきた。
 それじゃあだめじゃんと思いながら、今度は尾道ラーメンを食うという気持ちをなお持って、去っていった。 
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飯の友

 白米のおともは漬物(浅漬け含む)、海苔、佃煮、納豆が最強だと思っている。
 とは言うものの、年がら年中それらがあるわけがないし、それどころか年に数回くらいしかこういうのは出てこない。まぁそれもそうで、ちゃんと主の料理で食っちまえという話だけど。
 ただ、主の料理の素材どころか飯の友さえないときには、うちは「とりあえず卵」で凌いでいる。
 卵は焼いて目玉焼きからスクランブルエッグ、オムライス、さらに焼かずTKG(卵かけごはん)、あとはかき玉汁とか。とにかく万能である。母の知恵万歳。
 あとは、チクワに山葵なんてのもシャレている。和やかなチクワを山葵が上品に煌びやかにしているのが、何だか山と海の融合って気がして乙なものだ。うちには基本二つともあるからだいたい常時出来てしまう。
 言っておくが、飯の友メインで食うと塩分高めで死ぬかもしれんから気をつけよう☆
 健康はバランスの良い食事からである。
 というのも、うちの父はそれが元で糖尿病になってるし、祖父は脳卒中で倒れたことがあるのであんまり笑い事にならない……。ちゃんと野菜は食べないといけない。

誰に向けて書くか、作るか

 もうだいぶ前に買ったオレンジ色の表紙に直筆の著者名が記された本を手にとって呼んだ。題名は「僕の死に方」。

 流通ジャーナリスト・金子哲雄氏はこの本で自らの経歴・栄光、そして大病との闘い、臨終と退治する覚悟を全て書きつくした。子供の頃、価格情報を調べることで母に褒められた経験から自らの使命を「お得情報を発信する人」と定めて、そしてその考えに基づいて戦略的に完全燃焼した、その全生をだ。
 さて、かつては経営者向けの雑誌での執筆を主としていた彼が、テレビにも出演するジャーナリストになるきっかけは、テレビ番組の街頭インタビューに出演するという「ちょっとした偶然だった」という。
 偶然を偶然のままにするわけはなかった。彼はすぐさまツテを辿って、久米宏も所属する「オフィス・トゥー・ワン」に所属。そこからの快進撃は言うまでもないだろう。
 が、その道のりの足がかりも、メディアの特性を理解し「先読み」を当てた部分が大きいと思う。そもそも、テレビの出演よりも先に週刊誌で記事を掲載してもらい、それが掲載されている週刊誌をテレビの喫煙室に置いたのは、テレビの取り上げるネタは週刊誌で一次評価なされたものが多いという読みが関わっている。ちなみにそれは何故かと言うと、テレビのネタは映像を撮るコストも合わせて制作費が高額で、さらに安定して視聴率を稼ぎたいので初出しネタは避けたい傾向があるのだという。
 さらに、テレビに関しては、裏番組にも出られるようにコメンテーター出演ではなくスポット出演などにしたり、週刊誌を読んで鍛え抜かれた目で「女性視点」でのコメントを心がけることで、日中での露出でライバルとの直接的な舞台の衝突をさけたり――と、徹底的にその性質を読んだ。

 

 この本の論旨とは違うかもしれないが、ここである点を呈示したい。
 ここまでの流れを逆にとらえると、テレビはそれだけ分析されるメディアになったといえる。
 分析されると、相手は対策をねって戦法を読んでくる。リオデジャネイロオリンピックレスリング決勝、吉田沙保里の対戦相手、ヘレン・マルーリスは純粋な意志をもってそれを成し遂げたし、スポーツでない極端な例を挙げるならば、その最果てはドワンゴ日本将棋協会が主催する「電王戦」で将棋の名人冠を持つ棋士が敗れたケースだろう。
 テレビはいま、そんな立場にある。
 金子哲雄の分析は個人による個人のための一人の力でしかなかった。だからこそ、テレビというメディアを使って、見てもらう人をいかなる時も目の前に置きながら、喜んでもらうための身近な経済的解説を行った。
 だが、コレがインターネットメディアになると、テレビというメディアを使わずとも、自ら一次ネタを発信できるし、ネットベースで必要に応じて取材するからテレビどころか雑誌より取材コストは若干少ないかもしれない。これはテレビの従来の弱点を見抜き、そしてそのテレビに抱かれた不満をうまく利用したといえる。

 

 テレビの例を挙げたが、これはあまり一般的な例ではないと言われるかもしれない。しかし、この例に一貫して顕出しているのは、見てもらう人を意識して、見てもらう人の感じる所を分析した結果は、個々によってその用いられ方が異なるということ。見てもらう人が意識できなければ、そこでそのメディア、そのライター、その人の文化的な意志を死んだに等しいという考え方だ。これは「自己満足」でも完結できる創作系とは一応分離される考え方でもある。
 しかしながら創作系においても他人を意識することは自らの表現をより濃く力強いものにする上で非常に重要になる。自分のために書くものから、他の作品を分析することで他人軸になっていくプロセスは多くの人が経験する道だ。
 他の作品の表現の妙あるいは弱点を見つけて自分の糧にしていくその端々で、読んでいる人をどうリアクションさせるかを考えるようになるということだろう。

 自らの軸を持ちつつ、それが消失しないギリギリのところで他を出す想像力は巷にあふれている。

ふぁぼされた分だけ好きなアルバムを紹介するやつ

 MBSラジオティルドーンミュージック」にfhánaが出ると聞いてタイムフリーの恩恵を受けつつ聞いていたんですけど、いいですね。この聴取者を鷲掴みにするのではなく、「来たい人だけ来て」というスタンス。「ハマればまさにカタルシス、お耳に合わなければ阿鼻叫喚」というキャッチフレーズ。アーティスト縛りも多いんですけど、結構ワンテーマでもやってくれるので、本当に気が向いた時に聞く感じですね。
 ちなみに(余談なんですけど)、MBSラジオのこの編成、ちょっと頭いいなと。ナイター中継が長引いたとき、クッション番組というものを置かないと番組が押した時に休止を余儀なくされるわけで。そんな中でこの番組を編成すると、番組がスライドしても二時間ほどなら無事。実質的なフィラー音楽(簡単に言うと埋め合わせ)としての役割を持ちつつ、視聴者参加の要素もある。実に賢いやり方です。
 余談終わり。
 さて、ツイッターで「ふぁぼされた分だけ好きなアルバムを紹介する」みたいなものをやったらそこそこあるので、9アルバムを厳選してお届けします。そもそも音楽はiPhoneに入れて聞く超のつくライトユーザーで、一応容量は64GBなんですがしょっちゅう整理整頓をしていて、アルバム全曲が残ることは少ないんですが、そんな中生き残ったものが今回のメインです。なお、fhánaは殿堂入りです。なので原則書きません。
 では早速。

 1.平原綾香「Winter Songbook」

 子供の頃から母親が平原綾香を聴いていたせいもあってか、すっかり歌声に魅了され、そこそこ聴いてるアーティストのひとりに。正直、オリジナルアルバムとカヴァー・アルバムで迷ったけど、技巧光るこのアルバムを選びました。
 古典的名曲「Auld Lang Syne ~ 蛍の光」、「Love Never Dies ~ 愛は死なず」をアルバムの最初と最後に配置し、その他にも「アルジャーノンに花束を ~Song of Baenadette」や「私のお気に入り ~My favorite things」などが大胆かつ繊細なアレンジと歌唱がなされています。ちなみに、ファンクの力強さをそのままに平原綾香の明るさを昇華させたという意味で、アルバム収録曲で唯一2000年台の「HAPPY」(ファレル・ウィリアムス)が一番のお気に入りです。

 2.米津玄師「YANKEE」

 何でか放送室にあって、そして掛ける曲がない時によく流していたのでいつのまにか覚えてしまったヤツです。昔は「パンダヒーロー」とか聴いてもビビッと来なかったけど、いまこうして米津玄師を知ってからそういった曲を聞くとまた違ったものを感じるので、人間の感性のアンテナの角度変化も不思議なものです。
 暗闇の中で疾走と奮起の熱情を感じる「リビングデッド・ユース」、東京メトロCMソングとしても起用された、切ない心のもどかしさの描写が秀逸「アイネクライネ」や「花に嵐」、カオスな「しとど晴天大迷惑」(僕はこのイメージを広義での「腐れ大学生感」と呼んでいる)、なんとも曖昧な時間を掴んで切り取ったような歌詞「眼福」。一見難解でメロディーに対しての言葉の密度が高いけれど、しっかり向き合うと「こんなにいいアルバムがあったのか……」となること必至。

 3.BURNOUT SYNDROMES「文學少女」

 BURNOUT SYNDROMESを知ったの自体が随分最近のことになるとはいえ、彼らの音楽性を全てぶつけてきた「檸檬」に衝撃を受け、ほぼ計画的衝動買い。そういえば、Vo.の熊谷さんって文学的な歌詞を書くのに理系っていう事実が伝わってきたときの衝撃といったら。ギャップ凄い。
 表題曲「文學少女」は、一サビ前とラスト前に文学作品のタイトルを勢い良く引用しながら強烈な印象を残しつつ、繊細だけど変化を伴って描かれる「文學少女」の姿が力強く描かれています。優しい炎がうちに宿っているとわかる、まさに瞬間、子を産んだ若き女性の少しの喜びと大きな決意を感じられる「こどものじかん」、死を選ぼうとしている学生の叙情的なことばが胸をつかむ「或るK大生の死」など、本当に陳腐な言葉で申し訳ないのだけど、名曲揃い。

 4.岡崎体育「BASIN TECHNO」

 色物とみられることも多いし実際歌詞でめっちゃ遊ぶけどええ人やし、サウンドは本気。あと歌詞も本気だすと心に沁みるもの、書きますね。
 中身はないけど曲は良い、それがこのアルバムの力であり、「岡崎体育への入り口」としての力をフルに発揮できる所以でもある。ただ曲の構成を説明するだけ「Explain」、ミュージックビデオあるある「MUSIC VIDEO」、歌ってる間に心の声が漏れ出す「Voice of Heart」。かと思えばハードな「スペツナズ」、憧れと今を自分に映し出す「エクレア」、とまた違った本領が発揮されたものも。

 5.高橋優「来し方行く末」

 光陰陽鬱併せ持った歌と声を作り上げるシンガーソングライター、高橋優。入門は「福笑い」からだったんですが、激しいエモーショナルな曲、高橋優の光と影をどちらも映し出す曲も戸惑いつつも受け入れていった感じです。
 このアルバムは陽にバロメータが振れている気がするんだけど、これはきっと大ヒットした「明日はきっといい日になる」に影響された所もあるんだろうか、と。たとえ影として対置されるような曲であっても、明るいほうへ歩く希望が感じられて好きです。「Cockroach」のように、その存在のネガティブさから想像できないほど踏み潰されても立ち上がる意地みたいなところを感じます。
 そんな力強さが日々に活力を与えてくれると信じて。

 6.山下達郎RIDE ON TIME

 俺が一番最初に行ったライブは山下達郎です。忘れもしない昨年1月の神戸。圧倒的なライブパフォーマンス、これが音楽に生きる人なんだ、と実感したステージでした。僕なんかファン見習いのまた見習いなんですが、間口は広くしかしどこまでも深き世界が彼の音楽には広がっているのかな、と。個人的にはこの前作である「MOONGLOW」が喉から手が出るほど欲しい。
 表題曲は言わずもがな山下達郎個人としてのビッグヒットを果たしていますが、これにはアルバムバージョンとして若干テンポの遅いものが収録されており、ボーナス・トラックとして収録されているシングルバージョンとの聴き比べも一興か。「いつか(SOMEDAY)」は聞くたびに、都市、街の生活を考える時、愛とは切り離せないものだと思う。この頃までに収録されている吉田美奈子の詞も達郎氏とは異なるエッセンスを感じる。

 7.Katy PerryTeenage Dream

 ここまでは実は結構理屈混じりで聴いて好きになったアルバムばかりだったが、このアルバムばかりはどうにも好きになった理由が分からない。いや、きっかけはある。「Fireworks」だ。華やかなサウンドとポジティブ性の固まりの歌詞、突き抜けるサビ。これに夢中になり、そしてアルバムを借りたけど、多様なバリエーションの曲に酔わされている最中というべきなんだろう。

 8.Q-MHzQ-MHz

 彼らの鮮烈な個性が滲み出た疾走感溢れるアルバム。「星の名は絶望」のギターの荒々しさに惚れるしか無かった。一曲一曲の主張が強いけど、特に「La Fiesta? Fiesta!」の不思議を覗く感覚はなかなか味わえない。各曲参加したアーティストの特性をフルに活かして、どういう音のバランスがいいかを徹底的に見つめたんだろうなあ。僕も「short hair EGOIST」の展開みたいに「ギターがここからバーンと入ってででっでっでっでで」と考えられる脳があったなら……

 9.秦基博「Evergreen」

 声、歌詞、メロディーの全てのバランスが優れている歌手といえば、で出てきた。ピアノを入れても弾き語りでも包み込まれるようでいて芯の通った歌は際立つ。中でも、オリジナルでは外的に盛り上がっていく自分にある闘志が、内側からふつふつ湧き上がるものになっていたアレンジに驚いた「Halation」と、一度は聞きたかった弾き語りでの「アイ」が特におすすめ。

ふぁなみりー再結集 難波の春・関西ふぁなサミ2

 それは再びやってきた。ふぁなみりーは集うのだ。悲しみの弔鐘はもう鳴り止んだんだ。俺たちは再び集いへと、その一歩を、踏み出すんだ。
 ……すみません、やってみたかっただけなんです。許して。
 今回は大阪・難波で開かれた「関西ふぁなみりーサミット2」(もち非公式)のレポをお届けします。先にイベントの説明をしますと、音楽ユニット・fhana(ふぁな)のファンが集まってわちゃわちゃするイベントです。非常に分かりやすいですね。
 前回記事(リンク)を読まれた方は分かるかもしれませんが、内輪ネタ注意。なお、今回は写真を……まぁ、入れられるなら入れてると思います(執筆中に考えるスタイル)。

別れ

 僕は別れ際に悲観的になるようでは、まるでなくしたものをまだ探している子供みたいでなんだか落ち着かないなと思ってしまう。それでも、僕はたまに心に一抹の寂しさを浮かべては、それを心の引き出しに入れてぐっと閉じ込め、かと思えばふとした時に眺めてみて懐かしさの幻影を追ってみる。そこに未来はない。分かっていてもすがることは、おそらく心を保つのに必要だと思う。人は未来に向かうが、身体は過去の積み重ねで出来ている。
 我が放送部の顧問の突然の旅立ちに戸惑ったのは僕だけではなかった。部員とは一年の経験の差みたいなものがある(同級生も去年入部してきた)が、それでも積み上げてきた信頼は大きく、それなりの心配と不安があった。うちの顧問は放送部経験者だ。そういうひとが顧問として放送部にいるのは相当珍しいケースだとも思う。幸い放送部とは顧問ありきではない所も多いのだが、そうは言ったって事務的にはかなり顧問方の力を借りることも多い。
 先生は云った。
「別れは悲しかったらアカンやんか」
 先生も不安だったろう。違う道に踏み出して、再びこういった現場に帰ってくるとはいえ、違う環境に交わる恐怖みたいなものが誰にでもあると思う。その恐怖とどう向き合っていくか、それこそが別れの現場の本質だと思う。背中を向けてドアを閉めるとき、既に決意は固めていたい。
 僕はもうあと数ヶ月でこの居場所を去り、そして一年で巣立つ。
 そういえば、以前ある有名講師の方がこんなことを言っていた。「自分の居場所を壊さないといけない時がある」。うろ覚えの格言はまたも心に響くが、言うは易し行うは難し。恩師の別れとともに実感する一言だ。

1月17日

▼北海道から帰ってきた。大体スキーしたり飯食ったり演劇見たり。概ね楽しかった。独断専行型の人間とも割と仲良くやれることを悟った。と同時に、人格が心配になってきた。あと、天候に恵まれ、寒波こそ厳しかったが、極限の寒さは滞在期間中だけで言えばこちらと同じレベルだった。
▼最近は、マスコミの暗部を見て眠り込んだり、かと思えばテレビやラジオを一つの指標で評価してしまう性を疎ましく思ったりしながら生きている。一種「マスゴミ」と言われて久しい業界にある業界気質とも思えるのだが、長いこと放送ファン見習いをしていると、やはり泣きたくなるほど一つの指標しか見えていない、見られていない、これは業界もファンも視聴者も疲れるし疲れたんだろうな、と思える出来事が多すぎる。
 例えば視聴率。本来僕たちは、僕の認識不足でなければ、囚われることはない。放送局のスポンサーに対しての資料の性質が強いからだ。が、今のネットニュースは、視聴率がどうだこうだと騒ぎ立てる。これは、僕のフォロワーが言っていたことだったのだが、視聴率に対して番組を評価すること自体が放送ファンまで広がるといよいよ悲哀である。
 テレビ局自体を一面的に評価しないことを考えて何かを見ることの大事さが再発見されている。指標を見つめすぎなければ、良さが発見されて自然と人が集まってくるものである。視聴率は、ゴシップネタや下衆いネットトークネタではなく、製作者のモチベーションアップに使ってほしい。
▼きょうは阪神淡路大震災から22年だ。マスコミの災害報道のすべてはここを曲がり角にさらなる変革を迎えるのだが、取材方法にしっかりとした変化はあったのか。技術だけではない。その地に臨む覚悟は? 心を鬼にして問うと何かが見えてくる。
 今は、ネットを通して現場との距離は近くなった。とはいえ、現場を目の当たりにする人は必ずいる。現場との距離の近さと、人々との心理的距離・人々の心理的圧迫感をごっちゃにしては、そこにある困難が見えてこない。先日の大雪報道でも、大雪の情報が伝わった反面、報道された場所のキャンセルが相次いだと批判するツイートもあった。これは言いすぎと思うにしても、生死の境目としてもグレーゾーンにある災害報道には、より細心の注意を払っていってほしい。
 そういえば、少し架空放送局という趣味を嗜んでいた(いる)が、やはり災害報道には「自分たちがする危うさ」が見えてくるような気がして、あまり報道していない。速報報道ほどデマが広がりやすいのが、ネットで行う情報発信の弱さだ。架空放送局というWeb上にあって形を持たないメディアには危うすぎる。
▼伝わらない擦れ合いが今日も起きている。疲れっぱなしの雪道でずっと思っていたことでも、こうやって帰って文章にするとぼけてくるものである。
▼今、後ろで母が未だにスマスマの最終回を見ている。悲哀はつきまとう。一瞬でも気を緩めたら泣きそうな顔で母が見つめた画面。テレビ界の大きな岐路のひとつになるのだろう。そして歩みを止めない僕たちは、批評し続けてしまうのだろう。SMAPという大きな存在は、これから先、何十年も固められたかのように語られていく。あの日のメランコリックは僕らをどこまで縛り続けるのか?それともこれより大きな悲しみが僕らを襲うのか?疑念の海、波は寄せては返す。
▼話はガラッと変わって、修学旅行から帰ってきて、いくつか、いや大量にCDを借りてAppleロスレスリッピングした。そんな容量はかさばらない気がしている。なんてったって、無圧縮(WAV)のサイズから50%オフだもんな。それでいて耳で聞く限りでは中島みゆき女史(蔑む意図はないぞ)の声が伸び伸びしている。天井まで届きそうに楽しく歌ってる感じ。やったね!
 もちろん、この方式は向き不向きある。まぁ嵐の曲でギターメインならMP3で十分だと思ったし、他にも色々あると思う。
 とりあえず、中島みゆき桑田佳祐とfhanaを聴いて寝るのが一番だ。安心感が半端じゃない。ロックからバラードまで安心の取扱い。