風見鶏はどこを向く?

Twitterより深い思慮と浅い現実味を目指します fhána/政治/放送

生と死

 先日、毎日その日その日に自殺した人とそのプロフィールを紹介する小史的なアカウントを Twitter でフォローした。ひとりひとり、死因も動機もその後もまるっきり違う。死は、べつに自分で決めなくても勝手に決められるかもしれないこの俗世において、なぜ彼らはその方法を自死としたか。
 答えはその中を見つめれば出てくるもので、例えば、大阪のある小学生のように、小学校の統廃合という思春期に敏感なテーマが重なったことで自身の思想性を強烈に訴えたり、ある局のアナウンサーのように生きる苦しみに耐えられず死ぬことを決めたりする人もいる。これは間違いなく、生きることが出来たなら、いや「善く」生きることができる状態だったならば生きていけたのかもしれない。でも実際はそうできない――この苦しみを誰にも伝えられないから、生きることへの熱情と死ぬことへの希望に傾斜する、と思う。これが実際死に直面したときにどう思うかは、なんというか、その時にしかわからない。僕も小さなころはとてもいじめられて大変だったしそういうことも考えたけど、先のような人々の抱えた希死念慮とそれって同じだったのかなんて、わからない。
 この世界には理想と現実があって、いつの日もその狭間に苦しむ。疲れてしまってもう涙も随分流しちゃいなかった。むげにしてしまった人間関係(理想が高すぎたのだと思う)、心にもないことをしてしまったときの心痛を誰も拭っちゃくれないし、そのくせ、そんな話が多いもんだから、これは単に対人コミュニケーションが下手くそなだけなのかな、とも思ってしまう。実は中学時代の同級生とはほぼ疎遠である。卒業アルバムに書かれたメッセージもそう読む機会もない。こうして振り返れば、その「振り返り」の機会さえ僕は捨ててきたのだと思うし、そうすることで自分の精神性を維持してきたはずだ。振り返ることは、過去の自分の反省を「善く」生きるためにフィードバックするためのシステムであり、そんなに「善く」生きようなどと思ってもいなかったということだったろう。
 だから暗い自室の中には、思い出はあっても、それを振り返ることもない(もし振り返るときが来たなら、「自死」を選ぶときだろう)。と言いながらも一度や二度と言わず結構な頻度で過去を振り返りはしたが、割と死にたくなった。だからこの区切りも記憶を断ち切るためのシステムのひとつとして使おうと思う。「卒業式までは死にません」じゃないけど。まあ、僕は最近小さいころの記憶が抜け落ちつつあって、最近は中学一年生の記憶までも侵されてしまった。結局忘れてしまうものだろうが、間違いなく健忘の進行が早く、長期記憶が持たない。その点「今」の密度が濃いので、どうせ振り返らないなら捨てるべき記憶もあるのだと、僕は思う。
 井伏鱒二漢詩の中に「サヨナラだけが人生だ」という名訳を見出した。僕はそこに、他者との別れだけでなく、知っている自分を殺し、知らない自分の可能性の中から一つを選んでそのほかを捨てる、それもまた別れなのだと受け入れる姿勢も認めたい。それは「善く」生きるためじゃなく、ただ死なないためだけにする儀礼だと思いながら。