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「まっすぐ息を吸って。」 ~現役放送部員の目から

 いま、一部の放送部員の間で小学館裏サンデー」で連載されている竹内じゅんや氏のWEB漫画「まっすぐ息を吸って。」が物議を醸している。
 この漫画は現在5話まで連載されている放送部を舞台にした漫画で、なんとNHKの協力の下描かれているという。にも関わらず、「実態と乖離している」という批判や、後述する方向性の違いが様々な不満をもたらしているというわけだ。
 別にこの文章がそれらの現象を一歩引いた視点でまとめて、記録にしようというものではない。なにせ僕も放送部員である(全国の皆さんには程遠いものであるが)ので、そこから目を離すというのは無理なことである。なので、作品考としてこの文章を記すことにしようと思う。ここまでお膳立てされた作品が起こした「不満」なんて、珍しすぎるからだ。
 
 先に結論を言うと、あの作品には「現場への敬意」が欠けていたように思う。学校によって環境は違えど、「外郎売*1についての説明をあのコマ数で終わらせてはならないと思うし、省略された事項が多すぎる。さらに言えば、WEB漫画の特性を活かした扉絵が、青春マンガとはベクトルの違う「お色気」であったことも不満を増大させている一因だ。
 もちろん、「現場への敬意」を書きすぎると、エンターテイメント作品として成立しづらくなるのも確かだ。自主制作映画によくある「裏側」を書きすぎた感じとでも言えばいいのか(それを貶しているわけではない)。それは「現場からの敬意」は得られても「観客からの敬意」を得られにくいのだろうなと思う。
 前々からこの作品を批判的な目で見ていた方がいたのも事実だが、僕は少し期待して見ていた。放送部というのは実にフィクション化しづらい。どのようにこの「放送部」という切り口で物を見ていくんだろう。そんなことを思っていた。
 
 裏切られたとは思っていないが、ハイカロリーな作風で、到底部活のストイック感は出ていないな、と率直に思った。そりゃ暗すぎるのもどうかと思うが、とりあえず作者には明暗のバランスの取れた朝井リョウ「チア男子!!」を読めと言いたくなるような甘い作品だった。
 それから、読者層の一致ができていないとも感じた。先程述べた扉絵である。部活モノである以上、見るのは若い世代であろうのに、確実に大人のノリで作ってる。それも「現場への敬意」がないと思う一つだ。
 ちなみに「番組がない!読みも番組も」という指摘は(作中の設備からしたらあってもおかしくなさ気だけど)まぁ原則論として当てはまりづらいかなというのも正直なところだと思う。
 自分はこの漫画に理想を押し付けていたところがあるかもしれない。放送部の表現は一筋縄ではいかないという認識を持たなければ、この漫画を疑ってかからなかった。この部活動は人文学的な読解が求められる故か、冴えたツイートをする放送部員がたくさんいる。そして番組制作の経験でしっかりと構成を見据える目を持っている放送部員もたくさんいる。皆、持っている知識も目的意識も違うけど、厳しく物を見据えている。
 舐めてはいけない。
 あるツイートからは、その作家がNHK杯(スケートの文字列じゃないです。初めてみた方は放送部の全国大会と思っていただければOKです)の決勝に来ていたことを本当に恨めしく思っているという怒りも見えた。もちろんその怒りが正しいのかどうかすらわからない。確実に言えるのは、「観客からの敬意」は「現場からの敬意」と比例しているということなのだ。
 
 ぜひ皆さんにお願いしたいのは、この漫画について騒ぎすぎないでほしい。今やネットの影響力は強い。これはいわば傍らに忘れ去られるべき話でもあり、しかし強烈に爪痕を残す話でもあると思う。「現場への敬意」は何においてもお願いしたいところ。僕達もまた、違う場所への「現場への敬意」を忘れてはいけないのではないだろうか。
 
 ブログ変更にあたって追記(2018/03/30)
 この記事は自分の過去の記事を一部削除した上で、当時の記述をそのままにして前ブログから移行したものです。よって大学生である私は現在、タイトルのような「現役放送部員」ではありません。ご了承ください。

*1:外郎売……二代目市川團十郎の上演した歌舞伎の口上。日本では発声練習や滑舌練習として放送部員のみならずプロにおいても練習として用いられている。