“海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい”
とは言うものの、僕は
林芙美子の文学作品を一切読んだことがない。
尾道ゆかりの人物で言うなら、
大林宣彦の俗に
尾道三部作とよばれる映画作品も見たことがないし、
志賀直哉の「暗夜行路」も名前しか聞いたことがない。
それくらいの基礎知識もない僕でも、
尾道の街は一度目に映ると衝撃的な残像となって頭に残る。海を見るとそれは島と陸を近くに隔て、山を見ると寺社仏閣と住宅が互いに並び立つ坂道の壮観。
そんな「ノスタルジックさ」の先にある本当の街の姿ってなんだろう?と思うのだ。
昨年の夏に
尾道に行き、今年も行きたいとなんとかお金と時間の都合をつけて無理やり日帰り旅行を構成した。お金の都合、と書いたがさすがに在来線をうまく使って電車代は安く抑えた。
岡山からの在来線で対面に乗ったサラリーマンの覇気のなさや、岡山の高校生の電車率、着く前に対面に乗った
しんぶん赤旗を読んでいるおっちゃんが鼻をほじっている姿にとにかく突っ込みを入れながら、近づく街の姿をとらえていく。そびえ立つクレーンは
自由の女神、
尾道水道を目の前にたたえ山々をゆっくりと見る。電車から見ても間違いなく突き抜ける青。
尾道駅の有名な駅舎は、今は工事に入って見ることは出来ない。まだ朝だと言うのに、観光客がかなり歩いているし、外国人客も多い。
商店街方向に歩くと、先の
林芙美子の一文の像がある。ちなみに商店街といってもまだ本通りではないので、向かいに見えるのは山である。海側に作ればよかったのに。
本通りに入ってすぐの階段は、
尾道の特徴の一つの寺社仏閣めぐりのための白い階段だ。小学生と見える子どもたちが、無邪気にそれを登っていく。
尾道の魅力は海と山の
コントラストと見る向きも多いが、電車と隣接する道路、さらに隣に山と商店街なんてのは、なかなか他では見られるものではない。
本当は千光寺に行くためにロープウェイに乗るつもりだったが、どこから登るかを間違えてしまったために、全ての寺院を回ることになった。それはそれでよかったのだが、まさかそれが、この旅を「修行」と呼ぶ所以かつ序章になるとは思っていなかった。
長い坂道、路地のような細い道、すれ違う地元の方、猫が微笑む。隙間から見た「売物件」の文字には、この街の現実を感じずにはいられなかったが。
上り終わったその先でオレンジジュースを買うが、「お寺に飲み物を入れるのもどうか」と思ってベンチに置く。雲一つない青に
尾道水道と島はやはり映える。
おん ばざら たらま きりく――大悲心陀羅尼――と唱えるといいですよと受付のおばさんはおっしゃったが、特に観光客は唱えている様子ではなかった。これでも信心深いほうなので、律儀に唱えてきた。ここの効能は厄除けらしいが、行った翌日、
高校野球の応援チームがふたつも負けた。
そういえば、千光寺山頂は恋人たちの聖地らしく、彼らもそれを自認してアピールしてくるが、ひとりの僕は「うるせえ」と視線で跳ね返す。
下りのロープウェイは予想以上にガラガラだったが、すれ違う上りはやはり苦を避けようという客が詰め寄せ、満席だった。
千光寺の麓に降り立って、商店街を通り抜ける。癖の強い店から、まさしく純喫茶という店まで様々だが、中でもテレビで取り上げられた「カレー屋でもうどん屋でもない
深夜食堂風の店」は各人足を止めていた。漫画があるらしい。お酒はしっかりあるらしいので、ジャンルは居酒屋だろうか。そんなことより、「あやとりあります&あげます」が気になる。別にあやとりもらっても使わない。
商店街を後にし、変な意味で話題のレンタサイクルを借りる。ここは、一時「
TSマークが貼られていない、ずさんな管理だ」と
内部告発らしきことが
SNS中を駆け巡った。果たしてそれは本当だったのだろうかと、一次ソースダイレクトアタックを仕掛ける。
ところで、この表記で伝わると思ったんだろうか。写真は日本語と英語のバージョン比較である。特に、地図が日本語のまま。
もうさっさとしてくれと煽るようなおっちゃん(タイプ:しんせつ)の目を受けつつも、荷台のある車種を選んで渡船に向かう。やや車高が高かったのか、股間から尻に強烈な痛み。
向島に向かう渡船は大阪から来た中学生くらいの子たちの団体が固まっていた。リーダー格の子だろうか、「左に詰めて」と仲間たちをうまく誘導している。
日差しが強い
向島は、しばらく走り抜けると大きなスーパーがある。これから走破するつもりなんだし、何か飲みものを買っていこうと思い自転車を止めようとしたのだが……、番号式の鍵がかからない。
これはおかしいなと数分格闘していると、今度は地元の方だろうか、一見厳しそうなおじさま(タイプ:しんせつ)が「借り換えたほうがええやろ」と、市役所の支所を紹介してくださった。結局借り換えることなく、スーパーでは2lの
スポドリを買った。
自転車に乗っていると、それは自己格闘の時間なのではないかと思う。島の家々が立ち並ぶ場所を走り抜けている時は思わなかったが、海岸線を横に見るカーブに差し掛かった時、まるでここは生と死の境目にあるのではないかと。
そんな雰囲気につられてしまって、ランニングハイはふいに途切れる。エネルギー不足で
向島の端を前にして走破を断念し、しかも道中スポーツドリンクを一気に飲みすぎたせいでなんとも気持ち悪くなってきた。このあと、フォロワーさんからは飲み食いしないと倒れる、糖分と塩分を確保するべし、と有益な助言を頂いた。
頭が回らない中で、無理矢理にも何か腹の中に収めなければならぬと商店街を歩く。もう
尾道ラーメンなんて、夜に回しても入る気がしない。諦めた。それならば、先程ちらりと見た純喫茶で、一日中やっているモーニング(名古屋か!)を食べてしまおう。
「喫茶メキシコ」は、
尾道本通りの中間にあって、古風な純喫茶然とした店だ。常連さんの雰囲気もいい。一番手前側のテーブルに座って、モーニングを食す。そうすると、奥の扉が開いてお客さんが入ってきた。ここは二つ入口があるらしいが、これもなかなか、らしいって感じだ。
なんとかお目当てのものをもう一つ食べたかったので、苦しみながらも「からさわ」のアイスモナカを食した。店内には、「ゴロリ」の
原ゆたか氏、フジテレビアナウンサーの
西山喜久恵氏などのサインが一面に貼られている。ここは10分で溶けるアイスが売りだが、35℃の炎天下ではそう持つものではない。一気に食ってしまう。
甘さと冷たさで一時現実を忘れたが、十分としないうちに死にかける。しゃっくりが止まらなくなったのだ。
尾道の人々に僕は変なふうに映ったのではないだろうか。しゃっくりが止まらず、耐えきれずに建物に入って、治ったと思ったらまたしゃっくり。最後には
尾道駅前のトイレに一時間もこもって、吐き気を必死に抑えながら「もういいや、帰ろう」と思ったものだ。
二度目の旅は慢心に塗れる、と僕は思っている。岡山でも、自分の体力を一度だけで見切ってしまい、無謀な旅行をしてしまった。ひとり旅は、失敗しても成功しても責任は自分にある。そんなことを考えながら、帰りの新幹線は隣の方に心配されながら(エチケット袋を念のためにもっておいたのは、助かった)命からがら帰ってきた。
それじゃあだめじゃんと思いながら、今度は
尾道ラーメンを食うという気持ちをなお持って、去っていった。